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落合博満「高校生はひとりもいらない」中日スカウトが痛感した星野仙一との“決定的な差”《星野は計算の立たない高校生が好きだった》
posted2021/10/23 17:03
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
BUNGEISHUNJU
そのなかから、山井大介の“消えた完全試合”の翌2008年、中日スカウト部長だった中田宗男が抱えていた“苦悩”の場面を紹介する。星野仙一と落合博満、どちらの監督も知る中田が痛感した2人の差とは?(全3回の2回目/#1、#3へ)
星野仙一「その代わり二番手はいらんぞ」
「俺だって毎年、優勝したいよ。でもな、5年、10年先も考えなきゃならん。それがチームづくりじゃないか」
中日のスカウト部長・中田宗男がまだ駆け出しのスカウトだったころ、この球団の監督に就任した星野(仙一)は言った。
「お前らが一番良いと思うやつを獲ってこい。その代わり二番手はいらんぞ。途中で諦めるな」
星野の言葉は中田に使命感を与え、やがてスカウト人生を決定づける選手に巡りあうことになった。
1986年のことだった。プロ野球界がランディ・バースと落合博満の両リーグ三冠王に沸いたその年、スカウト3年目で関西地区の担当だった中田は、大阪産業大学高校大東校舎という高校の1年生左腕に目を留めた。別の選手を目当てに地方大会に足を運んだのだが、なぜか、その細身のサウスポーが描いた綺麗なストレートの軌道が頭から離れなかった。
まだ線は細いが、体力がつけば面白いかもしれない。
思った通り秋の大会では、翌年の甲子園を春夏連覇することになるPL学園高校を相手に好投した。0ー1で敗れたものの、中田の予感は確信に変わっていった。
中田はプロでは投手として一勝しか挙げられなかったが、もがいた経験の分だけ選手を測る物差しを身につけていた。スカウトとしての中田はいつも、ピッチング練習を終えた投手の指先を見ることにしていた。マメのできる場所によって力量がわかるのだ。
その一年生左腕は、人差し指と中指に同じくらいの大きさのマメがあった。それは、スピンの利いたストレートを投げるピッチャーだという証であった。
「もし他球団に指名されたら、社会人に行きますから」
そして何よりも注視したのは、バッターの内角に投げられるかということだった。投手はそこを攻め切れるか、打者はそこを打てるか、プロの世界ではその差が生死を分ける。
中田は肌身をもって理解していた。
くだんのサウスポーは、ホームベースに覆いかぶさるように打席に立つPL学園のバッターに対し、何食わぬ顔で胸元へストレートを投げていた。何球かユニホームの袖をかすり、その度に睨みをきかされるのだが、平然とまた同じところへ投げ込んだ。
ゲームが終わったあと、中田は公衆電話ボックスに駆け込んだ。球団から支給されていたテレホンカードを差し込むと、事務所にいる当時のスカウト部長へダイヤルした。息急き切れていて、繋がるまでの時間さえもどかしかった。