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プロレスファンを熱くさせる「10.9」の伝説…朱里が、林下詩美が、そして飯伏幸太が継承した“足4の字固め”

posted2021/10/12 11:00

 
プロレスファンを熱くさせる「10.9」の伝説…朱里が、林下詩美が、そして飯伏幸太が継承した“足4の字固め”<Number Web> photograph by Essei Hara

足4の字固めでギブアップを奪った朱里。武藤敬司が高田延彦を仕留めたこの技は「10.9」の象徴だ

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原悦生

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 プロレスファンにとって「10.9」は特別な日だ。1995年10月9日、東京ドームで行われた新日本プロレス対UWFインターナショナルの全面戦争。ライブで見た人も、後でテレビやDVDなどの映像で見た人でも、プロレス史に残る伝説として記憶している人が多い。

 スターダムの朱里は、そんな10月9日に大阪城ホールで小波とUWFルールで戦うことが決まっていた。リングコスチュームもいつもとは違う小波戦用のものを用意していた。UWFルールならではの関節技やキックの試合を想定していた、といってもいいだろう。

足4の字固めで「伝説の日」への思いを表現

 だが、小波が前日にまさかの急性腸炎で欠場を余儀なくされてしまう。試合がなくなった朱里は放送席に座って解説の仕事についていた。せっかくの大阪城ホール、ここで女子プロレスが行われるのは1995年の全日本女子プロレス以来26年ぶりだ。朱里と少し離れた解説席にはもう一人、長与千種が座っていた。長与はここで1985年8月にダンプ松本とセンセーショナルだった敗者髪切りマッチを行い、敗れた。

 朱里はかなり複雑な心理状態にあった。大阪城ホールで試合がしたい。「10.9」に試合がしたい。

 そこに助け舟を出したのが、鹿島沙希だった。鹿島は放送席の朱里に試合を呼びかけ、これを朱里が受けた。鹿島もいいところがあるじゃないか、と思ったファンも少なくないだろう。

 朱里は放送席を離れてリングに上がった。UWFルールではなく通常のプロレスルールだったが、朱里はドラゴン・スクリューから足4の字固めに移行して一気に締め上げた。

 あの日、超満員の東京ドームで武藤敬司が高田延彦からギブアップを奪った足4の字固めだった。朱里は同じ技で鹿島からギブアップを奪った。

「すごくうれしかった。自分は10.9の試合を知らなかったんです。でも、大阪城ホールでの試合が決まって、昔の試合をいろいろ調べて、高田さん、武藤さんの試合を見た。10.9って言ったら、足4の字固め。こうやって足4の字固めで勝つことができた。伝説の日への思いは、まだまだ足りないけれど、自分の中にもあるんだというのを少し見せられたかな」(朱里)

【次ページ】 林下詩美は「大阪城ホールを恒例行事に」

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