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「鈴鹿がないF1はF1じゃない」ドライバーも落胆…強固な“バブル”も受け入れられず、関係者が日本GPを諦めた真相<ホンダ、最後の年に…>
posted2021/09/09 11:02
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
Getty Images
8月18日、鈴鹿サーキットが発表した報せに、国内外のモータースポーツ関係者が悲しみ、落胆した。
「2021年のF1日本GPの開催中止」
今年の日本GPは、今シーズン限りでF1からの撤退を発表しているホンダにとって、最後の母国レースとなるはずだった。ホンダはF1最終年の今年、これまで応援してくれた多くのファンに感謝の意味を込めて、日本GPのタイトルスポンサーを務める予定となっていた。しかし、ホンダは母国でレースを行えないまま、F1活動を終了する。
「先日、コロナ禍の影響により、日本GPの中止がアナウンスされました。ホンダのメンバー、また両チーム(レッドブルとアルファタウリ)のメンバー一同、ホンダF1にとってのラストイヤーに鈴鹿で日本GPを戦うという想いが強かっただけに、本当に残念に思っています」
ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治は、そう言って2年連続での日本GPの中止の報に悔しさを滲ませた。鈴鹿でF1が初めて開催された87年からホンダの一員として日本GPを戦ってきただけに、鈴鹿への思いは一入だっただろう。
ホンダにとって鈴鹿サーキットで開催される日本GPは、単なる母国グランプリではない。鈴鹿サーキットは創業者である本田宗一郎が日本のモータースポーツ発展を願い、1962年に創設した日本初の本格的なロードサーキットだった。現在のようにテストコースが完備されるまで、ホンダのスタッフにとって鈴鹿は、レース用マシンの開発だけでなく量産車の高速走行テストの場としても足繁く通ったホームコースだった。
その鈴鹿に帰ることができない。ホンダのスタッフの心中は察するに余りある。
関係者たちの開催へ向けての努力
主催者である鈴鹿サーキット(モビリティランド)はもちろん、F1側も本当にさまざまな努力を行なった。多くの関係者が開催実現に向けて尽力してきただけに、その努力が実を結ばなかったことが残念でならない。
最大のネックとなったのは、査証の発行だった。現在日本は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う水際対策の一環として、外国人の入国を厳しく制限している。その一方、日本GPを開催するには、最低でも約1500人のF1関係者を日本に特別な待遇で入国させる査証の発行が必要になる。これだけの規模の外国人を特別待遇で入国させるのは、東京オリンピック・パラリンピックを除けば、このコロナ禍では前例がなかった。