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ブティック店長候補から6年でチェルシーの正GKになった、エドゥアール・メンディの謙虚な自己分析「僕は控えGKで状況は明確だ」
posted2021/08/15 11:01
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph by
L’Équipe
エドゥアール・メンディインタビューの後編である。23歳でクラブなし、仕事なしという完全失業状態から、彼はオリンピック・マルセイユ(OM)のリザーブチーム(CFA=4部リーグ)に加入した。これが転機だった。マルセイユではトップチームに昇格こそできなかったものの、実力を認められて翌年にはランスのトップチームとプロ契約を結んだ。以降はとんとん拍子で、レンヌを経て2020年にはチェルシーに加入。一気にヨーロッパの頂点に立った。
大きな成功を得ても謙虚さを失わないメンディが、自身の過去をさらに客観的に振り返る。(全2回の2回目/#1から続く・肩書などは掲載当時のままです)
(田村修一)
サッカーを続けるべきか考え抜いた10日間
――23歳だった2015年の夏には、パートナーとの間に最初の子供が生まれようとしている状況で、両親のもとに戻らざるを得ませんでした。『これ以上やっても無駄だからもうやめよう』と思ったのではないですか?
「ナシオナル(3部リーグ)のクラブからオファーがなく、CFAやCFA2(5部リーグ)のクラブしか関心を示さなかったから1年間プレーしていなかった。CFAを軽んじるわけじゃないけど、僕はそこで自分のキャリアを築けるとは思えなかった。こう考えたんだ。『子供が生まれる。安定が欲しい。CFAで1年ごとにクラブを変えてプレーして悩みたくない。選択肢はふたつ。サッカーを職業にし続けて十分な収入を得るか、それともサッカー以外の仕事を得るか』。10日間じっくりと考えた。そしてCFAのクラブからのオファーを断った。月給900ユーロは、これから父親になろうとする身には許容できなかった。友人のひとりがブティックを持っていて店長を探していた。ほとんど承諾しかけていたときに(シェルブール時代のチームメイトだった)テッド・ラビから電話があった。OMのリザーブチームのコーチが、選手を探しているという話だった。
それまで僕は挫折ばかりを味わっていたし、期待を裏切られたことしかなかったから、親しい友人の誘いも思わず疑ってしまった。同じ日の午後にドミニク・ベルナトウィック(OMリザーブチームのGKコーチ)から電話があった。CFAやCFA2のクラブは考えられないが、プロのリザーブチームに所属してCFAでプレーするのは悪くないと考えた。うまくいけばトップチームのサブか3人目のGKとして抜擢されるかも知れない。しかもそれがOMならばいうことはない。ほんの少し話しただけで、彼は僕が強い関心を示していることを理解した。2日後に僕はチームに合流した」