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「GI10勝」「ドバイの師から特別装蹄」ホッコータルマエが遺した“ダート王伝説” レパードSで父子制覇なるか?
posted2021/08/07 17:00
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
2014年のチャンピオンズC(GⅠ)や2度の帝王賞(JpnⅠ、13、15年)など、地方交流を含めダートGⅠを10勝したホッコータルマエ。当時、栗東で開業していた西浦勝一調教師(現在は引退)が管理したこの牡馬は、14~16年にかけて、何と3年連続で中東・ドバイへ遠征。ドバイワールドカップ(GⅠ)に挑んだ。
日本のダート王がドバイで見舞われたのは…
日本ではGⅠを10勝もした名馬だが、世界の壁は厚く、3度のドバイではいずれも苦戦を強いられた。
最初に挑んだ14年は、ダートではなくオールウェザーのタペタでの決戦。道中2番手を追走したものの3コーナーでは騎乗する幸英明騎手の手が動き、最後は16着に大敗。同騎手は「調教の感じでは走れると思ったけど、レースではトップスピードの違いがあったせいか早々に一杯になってしまいました」と愕然とした表情で語った。
しかし、本当の意味で驚かされたのは、実はレース後の事だった。
日本のダート王はレース直後にストレス性腸炎を発症。帰国後の予定どころか、帰国そのものの予定が延期を余儀なくされる事態に見舞われたのだ。
「その後はドバイの関係者や獣医さんが頑張ってくれたお陰で、なんとか帰国出来る事になりました」
当時、西浦調教師はそう語った。
幸騎手「一瞬、夢を見ました」
こうして日本に戻れたホッコータルマエは秋にチャンピオンズC(GⅠ)と東京大賞典(GⅠ)を立て続けに制覇。年が明けた15年には川崎記念(JpnⅠ)も勝利してみせた。すると……。
「前年、お世話になったドバイの関係者の方々に元気な姿を見せて恩返ししたいという意味も込めて再度、中東へ渡る事にしました」と西浦調教師。
この年から、再びダートに戻されていたメイダン競馬場。オールウェザー時代のドバイワールドカップの覇者が全て芝で実績のある馬ばかりだったことを鑑みれば、ダートに戻るのはホッコータルマエにとっては好材料だと思えた。