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《スケートボード》「鬼速いっすね〜」「ハンパねぇ」…NHKの“フランクすぎる”解説者・瀬尻稜は前人未到の道を拓いたプロライダー
text by
吉田佳央Yoshio Yoshida
photograph byYoshio Yoshida
posted2021/07/25 12:15
国内で無敗を継続していた2011年。優勝が決まりホッとした表情を浮かべる瀬尻稜
それでも彼へのリスペクトは止まない。
まだ23歳という現役スポーツ選手では最も脂の乗る年齢でありながら、あえてオリンピックへの道を選択しなかった瀬尻。
スケートボードを長年見てきた者からしたら、彼がオリンピックロードにいないことを不思議に思うかもしれない。
この世界にたらればは言っても仕方のないことではあるが、もし彼がオリンピックのために本気で活動していたとしたら、もしくはもう一世代遅く産まれてオリンピックとストリートカルチャーの狭間で揺れ動くことのないスケートボード人生を歩んでいたら、メダル戦線は違ったものになっていたのかもしれない。
そういって差し支えないほど、2010年代前半に彼がコンテストで見せていたスケートボードは群を抜いていた。
“瀬尻稜で日本のスケートボードの未来は変わる”
そう期待をかけていた人も多いだろう。さらに同じ立場の選手側からも彼へのリスペクトの声は止まない。彼と同じブランドのElementからサポートを受けているチームメイト、現世界ランク13位でオリンピック出場を射程圏内に捉えている16歳の青木勇貴斗も、「当時日本では誰も行けてなかった世界を舞台に結果を残している姿を小学生の頃に見て憧れたし、今でもストリートでは最先端の滑りをしているので凄いなと思います」と素直に賞賛の声を残している。
確かに彼はオリンピックという一般の注目を一身に浴びる舞台への挑戦は選択しなかった。
それでも彼の残した成績は決して色褪せるものではないし、オリンピック競技に決まる前からたった1人で世界と戦って結果を残してきたことが、現在世界を舞台に戦っている選手たちの若かりし頃に勇気と希望を与え、モチベーションになっていたことは間違いないだろう。
オリンピック競技に初採用されるということは、スケートボードのみならず他のスポーツにおいても、歴史的に非常に大きな意味を持つ。しかし、それでもトップ選手がそれを目指さない道を選択したということは、見方を変えればスケートボードにはオリンピックにも左右されないほど大きな魅力が詰まっていると言えるのかもしれない。