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宮藤官九郎の『いだてん』執筆記 「大河じゃない! と言われましても」「辛さのレベルは全然違いますが…」 

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宮藤官九郎

宮藤官九郎Kankuro Kudo

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photograph byKankuro Kudo/Illustration

posted2021/07/22 10:10

宮藤官九郎の『いだてん』執筆記 「大河じゃない! と言われましても」「辛さのレベルは全然違いますが…」<Number Web> photograph by Kankuro Kudo/Illustration

本誌コラム用に宮藤官九郎氏が描いた嘉納治五郎。

脚本はもう“前畑ガンバレ!”

 放送は始まったばかりですが、脚本は既に折り返し、現在1931年を執筆中。田畑政治さん率いる競泳チームがメダルを獲りまくったロサンゼルス大会が翌1932年。俺のパソコンの中では「前畑ガンバレ!」の前畑秀子さんら若い選手達が、予選突破を目指し猛練習しています。

 来年の東京五輪を目指す選手達とぴったりシンクロしている。皆さん、88年前の前畑さんのようにトレーニングに励んでいるんでしょうね。

 脚本を書き進めるにつれ、4年に一度という周期が選手にとっていかに残酷か気づかされます。

 一般的に、男子の体力のピークは17歳(女子は14歳)で、20歳からゆっくり下降していくんだそうです。ピークがオリンピックイヤーに当たれば最高ですがなかなか難しい。実力が一緒なら20歳のほうが24歳よりいい結果が出せる。統計的には。

4年間で前畑選手が考えたこと。

 前畑選手がロサンゼルス五輪で銀メダルを獲ったのが18歳。本人は、もう思い残すことはない、帰国したら多くの年頃の娘がそうするように結婚するつもりでいたそうです。ところが日本に帰ってみると「悔しいです」「次は頑張って下さい!」「4年後は金メダルを!」という励ましの手紙が何百通も届いていた。4年後は22歳。女子がそんな年齢までスポーツに打ち込むなんて考えられない時代。

 毎年オリンピックがあれば、まあ1年ぐらい婚期を遅らせて頑張るかと気持ちを切り替えられる。逆に8年に1回だったら? どう考えても無理だと諦めがつくし、周囲もそこまで無理強いはしない。

 4年という、ひょっとしたらやってやれない事はないと思わせる長さ。前畑さんは悩み抜いて出る事にした。そうと決めたら1日もトレーニングを欠かさなかった。冬はひたすら走り込み、まだ寒い3月からプールサイドでお湯を沸かして暖を取り、1日2万m泳いだそうです。誰が見ても“頑張って”いる前畑さんを、さらに国民が「ガンバレ! ガンバレ!」と追い立ててようやく獲った金メダル。

【次ページ】 金栗四三の歴史に触れて。

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