プロレス写真記者の眼BACK NUMBER

王座陥落でも…武藤敬司が“禁断のムーンサルト”の封印を解いたワケ「オレにはオレのノアより長い歴史がある」 

text by

原悦生

原悦生Essei Hara

PROFILE

photograph byEssei Hara

posted2021/06/08 17:01

王座陥落でも…武藤敬司が“禁断のムーンサルト”の封印を解いたワケ「オレにはオレのノアより長い歴史がある」<Number Web> photograph by Essei Hara

貫禄のある58歳の武藤敬司は封印していたムーンサルト・プレスを出して観客を驚かせた

「オレにはオレのノアより長い歴史がある」

 武藤は挑戦者として丸藤正道が出てくるとは思わなかったようだ。

「ジェラシーを感じたのかもしれないな。レスラーとして当然だろう。丸藤にはノアの副社長として、なんか丸く収めようというか、調和を取るような姿勢を感じていた。そんな人間性が、彼のつまらなさになっているのかな。レスラーとしてそれがいいか悪いかはわからないけれど。長州力なんか相手するのは大変なんだから」と武藤は笑って見せた。

「丸藤には丸藤の歴史がある。オレにはオレのノアより長い歴史がある。そして、それぞれに主張がある」

 6日前、5月31日の三沢光晴メモリアル。後楽園ホール。タッグマッチだったが、武藤は丸藤を持ちあげると三沢の技であるエメラルド・フロウジョンで叩きつけて、足4の字固めを決めた。

「三沢と丸藤は違うからね。三沢光晴の影はオレも持っている。でも、オレのは外見だけかもしれない。丸藤の場合は内面まで入っているけれど」

今は「思い出を武器」にして戦っている

 丸藤はノアの旗揚げメンバーだ。過去にGHCヘビー級王座には3度ついている。2006年9月に秋山準を倒して初戴冠。2014年7月には新日本プロレスの永田裕志から、そして翌年12月には鈴木みのるから奪取している。だが、空白にも感じる期間が長かったことも事実だ。

 一方、武藤がIWGPヘビー級王座を手にしたのは橋本真也を下した1995年5月。化身のザ・グレート・ムタとしてはもっと早く1992年8月に長州を倒してベルトを強奪している。全日本で三冠王座を手にしたのは2001年6月だった。天龍源一郎が相手だった。ムタとしての三冠奪取も天龍が相手だった。

「思い出とケンカしても勝てない」って若い頃、武藤は先輩たちに立ち向かって行くときに言ったけれど、今は「思い出を武器」にして戦っている、という。

【次ページ】 「こんなハゲちゃびんの還暦前のオヤジを」

BACK 1 2 3 4 NEXT
#武藤敬司
#丸藤正道
#プロレスリング・ノア

プロレスの前後の記事

ページトップ