濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「負けたら那須川天心戦ができない…」 ストレスで眠れなかった武尊はなぜ“最高のKO劇”を見せられたのか
posted2021/04/02 11:03
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Takao Masaki
千鳥ヶ淵の桜を散らすように降る雨が不吉に思えた。
3月28日、K-1は年間最大のビッグマッチを日本武道館で開催。メインイベントはスーパー・フェザー級タイトルマッチだ。チャンピオンにして団体エースの武尊がレオナ・ペタスを迎え撃つ。この防衛戦、武尊にとってはキャリア最大の窮地だった。
武尊が試合をするのは昨年3月のさいたまスーパーアリーナ大会以来だった。1年のブランクは大きい。両者はもともと昨年11月に福岡大会で対戦する予定だったが、武尊が拳を負傷して延期に。再び組まれたのは1月の代々木競技場第一体育館大会だったが、今度は大会自体が3月の武道館にずれ込むことになった。
“アンチ武尊”が発生した最大の原因は
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新生K-1旗揚げ戦から出場し、常に団体を引っ張ってきたエースの表情は、このところずっと翳りがちだった。1年前の大会はコロナ禍の初期、自治体からの自粛要請を振り切るように開催された。それを「強行」とする声もあった。言われた通りに自粛しても、何の補償もなかったのだが。
批判は団体の顔である武尊にも向けられる。対戦相手が来日できず、ギリギリのタイミングで変更になるアクシデントもあった。KO勝ちしてマイクを握った武尊だが、思わず涙がこぼれた。試合前には突発性難聴にもなった。原因の一つがストレスとされる症状だ。
11月の負傷欠場も叩かれた。それ以前から決まっていたテレビ出演も「試合を休んだくせに」と言われる。エースの責任感もあり、武尊はSNSアカウントに届く声にすべて目を通すという。
他の選手なら、こうはならない。“アンチ武尊”が発生した最大の原因は、那須川天心との対戦が実現していないことだった。お互い売り出し中だった2015年、那須川が対戦を呼びかける。だがK-1は那須川との独占契約を求めた。那須川にとっては主戦場のRISEを捨てるわけにはいかない。
武尊も「僕と闘いたければK-1に」と運営サイドと同じ主張をした。団体の価値観、世界観を作り上げている時期のこと、そうせざるを得なかったということだろう。実際にはやりたくて仕方がなかった。
「格闘家ならみんな分かると思います。自分より強いと言われる人間がいるのは我慢できないものなんですよ」