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日本人初の“卓球プレーヤー”は「夏目漱石」? 120年前、ロンドンで“18歳女学生と遊戯”の真相
posted2021/03/28 11:01
text by
齋藤裕(Number編集部)Yu Saito
photograph by
Bungeishunju
今からちょうど120年前の3月28日。当時、ロンドンに留学していた夏目漱石の日記にこんな記述がある。
<夜ロバート嬢とピンポンの遊戯をなす>(平岡敏夫編『漱石日記』岩波文庫/以降全て引用は現代仮名遣い、新字体に直している)
1901(明治34)年3月28日の夜、漱石が外国人女性と行った「ピンポンの遊戯」。
夏目漱石が「日本人初の卓球プレーヤー」?
実は現在、この「遊戯」こそが日本人が初めて行った卓球ではないか、とされているのだ。つまり漱石は、日本人初の卓球プレーヤーということになる。ではその誉れ高きラリーはどのようなものだったのか。日記の記述を紐解いてみよう。
前提として確認しておきたいのは、当時イギリスでピンポンが大流行していたことだ。
19世紀末、室内でできるテニスに似た遊びとして「テーブルテニス」が上級階級を中心に親しまれていた。ただ、使われていたのはコルクやゴムで作られたボールとガットを貼ったラケット。その用具は今の卓球と異なっていた。
1900年、今の卓球につながるセルロイド製のボールと羊の皮を張ったラケットを組み合わせた商品「ピンポン」が登場。イギリスで爆発的なヒットとなった。
当時のピンポンは体育館などの会場を必要とせず、多くは自宅で行われた。食事をしたあとのテーブルでやるなど、生活に密着したもので、ロンドンではハガキを送り「ピンポンパーティー」に招待することも流行していた。
となると、漱石のラリー相手は家の中の人であった可能性が高い。当時、漱石はフロッデンロード沿いのブレット家に下宿していた。日記では「下宿の飯は頗るまずい」と記し、漱石が正岡子規に宛てた手紙でも「同じ英国へ来たくらいなら今少し学問のある話せる人の家におって、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい」(「倫敦消息」『夏目漱石全集10』ちくま文庫 所収)と下宿先の不満をたれている。
ロバート嬢とは、一体何者なのか
そんな鬱屈とした日々を過ごす彼が卓球のラリー相手として選んだロバート嬢とは、一体何者なのか。