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中嶋悟「未来永劫やめるとは、言ってませんよね?」~名ドライバーが語るホンダ~
posted2021/03/05 07:00
text by
大串信Makoto Ogushi
photograph by
Takuya Sugiyama
ホンダエンジンが最盛を誇り、日本中がブームに沸いたF1参戦第2期後半。それは、日本人初となるF1ドライバーの挑戦の歩みと、ちょうど重なる。激震が走った第4期終了の報せを受けて、レジェンドは何を思うのか――。
1987年、中嶋悟は日本人として初めてF1グランプリのレギュラー選手となった。彼がF1の実戦を初めて自分の目で眺めたのは、その9年前にあたる1978年、イギリスのブランズハッチ・サーキットで開催されたF1イギリスGPの前座レースであるF3レースに出場するため渡英したときのことだった。
「そのときに感動して『ここでレースしてみたい、ここに来なきゃダメだ』と思うようになったんです。日本の自動車レースは当時、好き者、遊び人が関わるものと思われていました。でもイギリスでF1を見たら様子が全然違いました。ロイヤルボックス用の駐車場にはロールス・ロイスがずらりと並んで、観客席にはお洒落したお兄さんやお姉さんばかりではなく、おじいさんやおばあさんや子供たちもいっぱいいる。僕が小学生の頃に見た東京オリンピックみたいに見えたんです。『わあ、すごいや、ここで認められたら本物だ!』と痛感して帰国したんです」
しかし当時日本のレース界は発展途上にあり、日本からF1へ進出する経路は存在しないに等しい状況だった。中嶋は国内レースで大活躍をし、ホンダの事実上のエースに抜擢され、F2エンジンの実戦テストやF1エンジンの開発テストを担当するなど努力を重ねたが、実際にF1ドライバーとしてレースにデビューしたのは'87年のこと、年齢は34歳になっていた。