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フランスが不屈の日本人に「ブラボー!」 白石康次郎が53歳で世界一過酷なヨットレースを完走するまで
text by
矢部洋一Yoichi Yabe
photograph byYoichi Yabe
posted2021/02/25 06:01
最高峰のヨットレース、ヴァンデグローブでアジア人初の完走を遂げた白石康次郎
世界一周航海を夢見る青年康次郎の心に
冒険的な要素の強いフランス人好みのレースだけに、スポーツイベントとしての注目度は非常に高い。最近の調査(by Odoxa)では、48パーセントのフランス人が昨年11月のヴァンデグローブ・スタートの模様を視聴した。これはツールドフランスやテニスの全仏オープン決勝の数字と肩を並べる。
白石康次郎がこのレースのことを知ったのは、彼がまだ二十歳そこそこ、弟子として多田雄幸という著名なヨットマンに師事していた時だった。多田氏は日本で初めて、国際的な単独世界一周ヨットレースBOCアラウンドザワールド(1982-82)に出場し、クラス2で優勝を果たした人物だ。ヴァンデグローブの創始者ジャントー氏は、多田氏とこの同じレースを戦い、クラス1で優勝していた。そして第1回ヴァンデグローブ(1989)への招待が多田氏にもとに届いた。その後多田氏は他界し、この招待が日の目を見ることはなかったが、ヨットでの世界一周航海を夢見る青年康次郎の心には、そのレースの名は確かに刻まれた。
亡き師の思いを胸に「いつかはヴァンデグローブへ」
白石は亡き師の船を受け継いでスピリットオブユーコーと名付け、26歳の時、最初の単独無寄港世界一周航海を成し遂げた(1993-94)。当時それは世界最年少の記録となった。
2002-03年には、単独世界一周レース「アラウンドアローン」に初出場しクラス2で4位を獲得。2006-07年には、再び単独世界一周レース「5オーシャンズ」のクラス1に参戦して2位となり、国際的なレースで念願の表彰台に上った。ちなみに、26歳で達成した単独無寄港世界一周の時のスポンサーには、このナンバー誌が名前を連ねている。
いつかはヴァンデグローブへ、との思いが叶ったのは2016年。初めてその存在を知ってから30年近い年月が経っていた。いつものごとく資金準備に苦労していた白石を救ったのは、長年にわたって支援を続けてくれているスポンサー企業の人々だった。