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武豊「ギムレットで乾杯」に憧れ競馬界に入った青年が明かす秘話「ダービーをかけたレース前、ユタカさんは…」
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/01/30 17:01
フェブラリーSを優勝したモーニンと濱名浩輔
武豊「じゃ、決めてくるわ」
更にその3年後の11年、ドラマが待っていた。この年、濱名助手が担当した馬は名をクレスコグランドといった。彼をこの世界へいざなったタニノギムレットの仔だった。
クレスコグランドは未勝利戦で勝ち上がると続く条件戦を連勝。日本ダービー(GI)への出走権を懸け、京都新聞杯(GII)に挑む事になった。そして、その鞍上には武豊騎手が指名されたのだ。
「パドックから本馬場へ向かう馬道で馬を曳きながら、武豊さんに『ギムレットでユタカさんがダービーを勝った時のインタビューを聞いて、この世界で働きたいと考えるようになったんです』と伝えました」
すると、日本のナンバー1ジョッキーは次のように答えたと言う。
「じゃ、決めてくるわ」
「そして実際に勝って僕に初めてのダービー出走権を取ってくださいました。格好良かったし、この世界に入って本当に良かったと思いました」
「モーニンの時の方が感慨深いものがありました」
それから更に4年の歳月が流れた。15年から担当したのがモーニンだった。
「最初の頃は歩様が固くて『大丈夫かな?』という感じでした。ところが実戦へ行くと別馬のように走りました」
5月に既走馬相手の未勝利戦でデビューすると2着に5馬身の差をつけて快勝。その後も出れば勝つを繰り返した。デビューから4戦4勝。しかし、初めての重賞挑戦となった武蔵野S(GIII)は3着に敗れ、迎えたのが冒頭に記した16年の根岸S(GIII)だった。
ここで「勝ってもう一度東京に来たい」と語った濱名助手の願いは見事にかなう。それどころか根岸Sを快勝したモーニンは続くフェブラリーS(GI)も優勝。濱名助手にとってブルーメンブラット以来となる2度目のGI制覇を達成してみせた。
「ブルーメンブラットの時はトレセンで働いていくらも経たない頃だったため、自分自身何が何だか分からないまま勝ててしまったという感じでした。それを考えると、経験を積んで自分なりに色々と対処出来るようになって勝てたモーニンの時の方が感慨深いものがありました」