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武豊も強さに呆れた!? クロフネ、衝撃の武蔵野Sを振り返る…ダートでは“超ワールドクラス”だった【追悼】

posted2021/01/23 17:01

 
武豊も強さに呆れた!? クロフネ、衝撃の武蔵野Sを振り返る…ダートでは“超ワールドクラス”だった【追悼】<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

武蔵野ステークスに続きジャパンカップダートも圧勝したクロフネはその後種牡馬としても活躍した

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Sankei Shimbun

 これほど派手で、衝撃的な「転身」を見せた馬がほかにいるだろうか。

 時は2001年10月27日。第124回天皇賞・秋を翌日に控えた土曜日のことだった。東京ダート1600mで行われたGIIIの武蔵野ステークスを、一頭の芦毛馬が強烈な走りで圧勝した。

 今年1月17日に老衰のため世を去ったクロフネである。

98年3月31日に誕生したクロフネは松田国英厩舎に

 クロフネは1998年3月31日、アメリカのケンタッキー州で生まれた。父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニュー。2歳のときに輸入され、早来のノーザンファームで育成調教を重ねたのち、栗東・松田国英厩舎に入厩した。馬主は、のちにディープインパクトのオーナーとなる金子真人であった。

 00年10月14日、松永幹夫を背に、京都芝1600mの旧3歳新馬戦でデビューするも2着。中1週で臨んだ京都芝2000mの新馬戦(当時は開催内の新馬戦に複数回出走できた)をレコード勝ちすると、つづく阪神芝2000mのエリカ賞でもレコードを叩き出し、3馬身半差で圧勝。

 しかし、次走のラジオたんぱ杯3歳ステークスでは、単勝1.4倍の1番人気に支持されるも3着に終わる。勝ったのは翌年の皐月賞を無敗で制するアグネスタキオン、2着はダービーとジャパンカップを勝つジャングルポケットという、あとから振り返ると驚くほどの超豪華メンバーであった。

ダービーと菊花賞の「開放元年」に「黒船」が襲来する

 クロフネが3歳になった01年。日本でも馬齢表記が、それまでの数え年から、生まれた年を0歳とする数え方に変わった。

 そして、それまで内国産馬しか出走できなかったダービーと菊花賞に、外国産馬が2頭まで出走できることになった(皐月賞は翌年から)。ゆえに「開放元年」と呼ばれたこの年のクラシックで、幕末に開国を迫った「黒船」を想起させるこの馬がどんな走りを見せるのかと、早くから注目されていた。

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