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【ドラフト秘話】「監督、獲れました!」巨人スカウト野間口貴彦が涙で報告した、創価大・岸監督への恩返し

posted2021/01/24 17:01

 
【ドラフト秘話】「監督、獲れました!」巨人スカウト野間口貴彦が涙で報告した、創価大・岸監督への恩返し<Number Web> photograph by Yu Takagi

巨人にドラフト7位指名された創価大・主将の萩原哲(中央左)。2人の期待を背負ってプロの世界へ飛び込んでいく(1人挟んで右にいるのが育成11位指名された保科広一)

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高木遊

高木遊Yu Takagi

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「監督、獲れました!」

 野間口貴彦は創価大・岸雅司監督にかけた電話口で涙を抑えることができなかった。

 昨年のドラフト会議で、巨人は同大の捕手・萩原哲をドラフト7位、外野手・保科広一を育成ドラフト11位で指名した。そのスカウトを担当したのが野間口だった。巨人で11年間プレーした後、2015年限りで現役引退。16年から同職に就き、19年からは母校でもある創価大を任されていた。

 野間口は2020年限りで巨人を退団。一方、岸監督も37年間にわたって指揮を執って岸監督も昨年度をもって退任した。それだけに「自分の最後(の担当)というより岸監督の最後の年に獲れて良かったです」と話す。そんな深い絆で結ばれる2人だが、その縁は一度切れた。

「野球が楽しくなかった」

 話は日韓共催のサッカーW杯で日本中が沸いていた2002年に遡る。

 前年春のセンバツ甲子園で関西創価高を初出場ながら4強に導いた野間口は「プロからの評価が思うようなものではなかった」と自らの意思で創価大学への進学。1年春から東京新大学野球のリーグ戦でも登板を果たしていた。

 しかし、その夏に野間口は創価大を去った。

「大学日本代表のコーチとして同行していた日米大学野球から帰国すると、『監督、大変です。野間口が辞めたいと言っています』と聞いてね。だからすぐ監督室に呼んで “ほら、アメリカ土産だ”ってTシャツかなんかをあげたかな。そこで“辛抱せえ”と言って一度は落ち着いたんだけど、しばらく経ってやっぱり辞めることになった」(岸監督)

 野間口が当時を「単純に当時、野球が楽しくなかったんです」と振り返るように、岸監督の説得は実らなかった。

 東京新大学野球は現在、創価大や流通経済大だけでなく共栄大や東京国際大も加わり激しい優勝争いを繰り広げているリーグだ。しかし、1年前の春には甲子園の大観衆の前で負けたら終わりのトーナメントを経験してきた野間口にとってはリーグ戦方式の大学野球に当時は物足りなさを覚えていた。

【次ページ】 「野間口もいたら日本一になれたのに」

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