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【発掘】ジャイアント馬場の“日本未公開”ハリウッド映画 巨人→プロレスの空白期間に紋付き袴で大暴れ? 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph byYukio Hiraku/AFLO

posted2021/01/23 11:00

【発掘】ジャイアント馬場の“日本未公開”ハリウッド映画 巨人→プロレスの空白期間に紋付き袴で大暴れ?<Number Web> photograph by Yukio Hiraku/AFLO

プロレス入門前(?)に日本未公開のハリウッド映画に出演していたジャイアント馬場。当時の演技は弟子ジャンボ鶴田のそれとそっくりだった?

 問題は「この映画、いつ撮影されたのか?」ということ。20世紀FOXのハリウッド映画ではあるのだが、実際の撮影は日本国内や占領下の沖縄で行われた模様。馬場は60年4月に日本プロレスに入門しているのだが、映画の撮影や公開スケジュールは千差万別なので、これがプロレス入門前なのか、後なのか。60年9月にデビューする前なのか、後なのかの判別はつかない。

 期待の若手レスラーが米国映画に出演となれば、それなりに報じられていても不思議ではないのだが、映画その物が日本未公開だったこともあり、それが報じられた記事は見たことがない。あるいは、師匠の力道山をはじめ、角界の関取出身の先輩レスラーがゴロゴロ存在する中、若手選手が大銀杏を結い「ヨコヅナ」を演じたことに、何かしら遠慮のブレーキが働いていたとも推測できる。

売り出し時期と公開時期が重なる

 日本プロレス期待のホープ・馬場の初渡米はデビュー戦から約9カ月後の61年7月1日のこと。7月17日にロスで米国デビューを飾り、8月18日にはサンディエゴにてNAWA(後のWWA)世界王者フレッド・ブラッシーに初挑戦し、9月16日には西海岸の殿堂「オリンピック・オーデトリアム」にてブラッシーに再挑戦、10月から12月まではニューヨークのMSG定期戦に全戦出場という破格の売れっ子ぶりを発揮している。

 東洋からやってきた運動神経が良く、スタミナも抜群な巨人レスラーが売れっ子になるのは当然なのだが、この売り出し時期と『MARINES,LET'S GO』の米国公開時期が見事に重なっていることも見逃せない。日本ではまったく無名の映画ながら、実際に劇場公開されていた現地のリングでは「映画でおなじみ、日本でナンバーワンのスモーレスラーが登場!」と派手にプロモーションに利用されていた可能性は高い。ならば前述の『プロレス スーパースター列伝』による四股踏み描写も当然のファンサービスと言える。

 力道山存命中、馬場は米国修業から一時帰国中に『喜劇 駅前茶釜』(昭和38年・東宝)にフランキー堺の幼馴染役として出演。そして押しも押されもせぬ日プロのエースに君臨していた時期にも『やくざ刑事 マリファナ密売組織』(昭和45年・東映)や、『喜劇 右むけェ左!』(昭和45年・東宝)などに出演しているが、この時期はすでに、人気スポーツ選手が特別にゲスト出演という立ち位置だった。

ジャンボ鶴田にそっくり?

 長らく海外版DVDを取り寄せるしか視聴方法がなかった『MARINES,LET'S GO』だが、最近はAmazonプライムビデオの海外版にて、レンタルや購入で視聴可能。

 若き日の馬場のセリフの言い回し、そして演技を見るに、なぜか昭和50~60年代、お正月の日本テレビ名物『番組対抗かくし芸大会』や、人気青春ドラマ『俺たちの旅』(昭和50年・日本テレビ)の最終回に出演していたジャンボ鶴田のソレに、笑ってしまうほどそっくりなのである。師弟コンビの遺伝子は、リング上よりも、こんな意外な部分で受け継がれていた。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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