ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「つまらないこと聞くな!」馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2021/01/09 11:01
山田邦子と馳浩は1987年の“事件”から長い時間を経てグータッチのサプライズをファンに見せた
MCになったのはアントニオ猪木から頼まれたから
もともと、山田邦子が『ギブUPまで待てない!!』のMCになったのは、番組プロデューサーと、アントニオ猪木から頼まれたからだったという。
「あの頃、私は猪木さんや長州さんのことは知っていても、プロレスの細かいことは全然わからなかったの。でも、猪木さんから『プロレスをよく知らない人との橋渡しをしてください』って言われて、『女の人とかもプロレスを応援してくれるようになるといい』ってことで、やらせてもらうことになったんですよ」
今でこそ「プ女子」と呼ばれる女子のプロレスファンはたくさんいるが、当時の客層は9割以上が男性。そこで女性を含めたファン層の拡大のために、MCとして白羽の矢が立ったのが、当時、テレビで絶大な人気を誇っていた山田邦子だったのだ。
「だけど、ちょっと時代が早かったんじゃないかな。今も昔もお笑い芸人はプロレスが大好きな人が多いんだけど、あのころはまだ、なかなか受け入れてもらえなかったから」
「いまだに言われるけど、私の中では何もないのよ」
そして、あの馳との一件については、こう語っている。
「いまだに馳のことを言われるんだけど、私の中では何もないのよ。あの時、私がまだプロレスをよく知らないからへんなことを聞いちゃって、それで馳に怒られて。私は『あ、そうですね』って言って、そこからは何事もなく終わったと思ってたんだけど、収録後、プロデューサーとかがみんな『大丈夫ですか?』って来たのよ。ちょっと売れてるタレントだったんで、特別扱いにみたいになっちゃってて。
それで、単にインタビュー中にちょっと怒られただけなのが、『ゴールデンタイムに国民的なタレントが言葉の暴力に遭ってる図』みたいになって、テレビ局の方から『あれは言葉の暴力だ。こんな番組やめましょう』みたいな感じで言われて、それで終わっちゃったの」
当時の山田邦子は、翌88年から8年連続でNHKの好きなタレント調査女性1位を記録するほどの売れっ子中の売れっ子。『ギブUPまで待てない!!』がわずか半年で終わったのは、プロレスファンの反発や、視聴率の伸び悩みだけでなく、超売れっ子タレントに忖度した部分もあったということだ。
「私自身は、あの時から『なんでもないですよ』って言ってたんですよ。だって『オレたちひょうきん族』の現場なんかしょっちゅう怒鳴られてたから、慣れっこだし(笑)。でも、周りが過剰反応しちゃったんですよね」