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箱根駅伝、リタイアしたエースは何を語るか「もういいからやめなさいと」「神さまからの天罰じゃないか」…
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byAFLO SPORT
posted2021/01/03 06:01
途中棄権だけでなく繰り上げスタートなど、箱根駅伝には悲劇性が詰まっている
<名言3>
みんなで最後は楽しく笑ってゴールしようと決めていたんですけど、称賛と批判が半分半分でしたね。
(宇野純也/Number992号 2019年12月12日発売)
◇解説◇
2009年の箱根駅伝で話題になったのは、33年ぶりとなる出場を果たした青山学院大だった。アンカーの宇野、そしてフィニッシュテープの向こう側に待つ仲間全員が笑顔を浮かべていた。その仲間と優勝を喜びを分かちあうように、両手を高々と突き上げてテープを切った。
順位は――22位である。
23チームが参加したこの年の大会で、途中棄権の城西大学を除くと完走チーム中最下位の結果だった。これほどまでの喜びようには、眉をひそめる人がいたのも事実だ。宇野も冗談めかしながらだが、宇野も「奥さん(原晋監督夫人の美穂さん)からは『笑っている暇があったら走れ』と突っ込まれたし、いまだに『お前は優勝したのか』って言われます。気分は優勝でしたって言い返しますが(笑)」と話している。
しかし、彼らが笑顔を貫いた背景と歴史を知ると、その見方は変わる。
彼らが出場を果たす33年前、青学大は途中棄権に終わっていた。脱水症状に陥った10区の杉崎孝がフィニッシュ地点までわずか150mを残して意識を失ったのだ。そしてそれ以来、箱根路から遠のいていた。大会後、杉崎に会った宇野は、感謝の言葉をかけられた。
「杉崎さんも途中棄権したことがずっと心残りだったそうで、僕らの襷がきちっとつながったことで、自分の中でもすっきりしたという話をされていました」
つまり、33年越しのゴールは多くのOBにとっても悲願だったのだ。
ただ、青学大は“箱根に出る”だけで満足しているわけではなかった。
「今回は出るだけで満足だったけど、来年は結果を残さなきゃって」
1区を任された荒井輔(たすく)はこのように考えていたという。実際、荒井が新主将となった翌年度の箱根では8位に入ってシード権を獲得した。その後、原晋監督の元で着々と地力をつけていったチームは、箱根4連覇を達成。今やライトグリーンの襷は強豪の証と言えよう。
「テレビで見せている後輩たちの明るい雰囲気は、私たちの頃から変わっていないと思います。あのゴール、世間の反応はビリなのになんで笑顔なの? だったと思うんですけど、あれで青学の文化ができたんだと思っています」
主将だった先崎(まっさき)祐也はこのように語っていた。青学大の強さの原点に「2009年の22位」があることは確かである。