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SMAPと嵐、史上最多の7組…紅白出場組で考える、ジャニーズは「2015年→2020年」で何が変わった?
text by
霜田明寛Akihiro Shimoda
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/12/31 06:02
2015年は結果的にSMAPの解散前ラストの出場となり、2020年は嵐の活動休止前最後の紅白になる
活動休止前ラストアルバムにして最新アルバム『This is 嵐』は米津玄師提供曲もブルーノ・マーズ提供曲も入った半分J-POP、半分洋楽アルバムのような作りになっている。
松本潤は昨年You Tubeの音楽責任者に会いにニューヨークまで行き、アメリカでも聴ける楽曲を作りたいという構想を話すなど、準備段階から本気だったことが窺える。実際、コロナがなければ、米国でのライブも開催予定だったという。
その姿勢は、後輩たちに道を作ろうとしているようにも見える。
日本一のアイドルである彼らが世界に挑戦する。むしろ、日本での盤石な人気がある彼らだからこそ、挑戦できると言ってもいいだろう。
海外挑戦は「創業者・ジャニー喜多川の悲願」でもある
テレビを主体とするバラエティタレントは当然のことながら国内市場向けなので、ジャニーズアイドルの海外進出というとピンと来ない人もいるかもしれない。
だが実は、海外進出は、創業者・ジャニー喜多川の悲願でもある。
もともと日本に、“少年たちが歌い踊るアイドル”という概念を生み出したのはジャニー喜多川だった。
『ウエストサイドストーリー』に感銘を受け、野球チームの少年たちをジャニーズとしたのがジャニーズ事務所の出発点であり、その後の半世紀に渡って、ミュージカルを基調とした舞台にこだわり続けた功績を考えると、ジャニーズアイドルがバラエティタレントとしても人気を得たこの20年超は、初期の想像を超えた、嬉しい誤算だったことだろう。
初代ジャニーズは、日本でブレイクした後、海外進出を計画したが、お世辞にも成功とは言えないものだった。Billboard Hot 100で2位を獲得したアソシエイションの名曲「Never My Love」はもともと、1966年に初代ジャニーズに提供され、未発表になっていたものだ。初代ジャニーズ版の楽曲も現存しているし、ジャニー演出の舞台でもこの楽曲を頻繁に使用するなど、晩年のジャニーもこの夢を諦めたわけではなかったはずだ。
ジャニー喜多川の死から1年。
嵐を筆頭とした海外への挑戦は、ジャニーズタレントたちの原点回帰であり、亡き“父”の果たせなかった夢の引き継ぎをしようとしているようにも見えるのである。