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「小学生時代は地獄だった」朝倉未来が明かす“伝説の原点” 気の弱い少年を父親はどう変えたのか
posted2020/12/27 11:03
text by
朝倉未来Mikuru Asakura
photograph by
©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA
※本稿は『路上の伝説』(KADOKAWA)の一部を抜粋、再編集したものです。
小学校時代は地獄だった。
というのも、あまりにも熱心に空手に打ち込んでいたからだ。
今から思えば、なぜあんなに頑張っていたのか分からない。
確か当時はテレビ番組の『SASUKE』に出たいという目標を持っていた気がするが、それにしたって頑張りすぎていた。
今、大人になって格闘家として活動するようになってからよりも、ずっと練習に時間を割いていたように思われる。
たぶん、大人が自分のことを評価してくれたからだろう。
豊橋の極真空手の道場に通うようになると、極真の別流派である北斗会館というところの先生も、俺に目をかけてくれるようになった。
そういうことで合宿などにも参加することになり、練習量がどんどん増えていた。
道場には週に3、4日通うことになった。
それだけでも結構きつい方だと思うが、夏休みになるとさらにきつくなって、合宿なども含めて、ほとんど毎日のように昼からの練習に参加していた。
褒められていたミット打ち・ミット蹴りにしても、一日中やらされてはたまったもんじゃない。
このように、かなりスパルタでストイックな練習をさせられていた記憶があるが、これは北斗会館のスタイルだったようだ。
これに影響を受けたのが親父だった。
俺たち兄弟は、時に泣きながらトレーニングをした
実力重視で、頑固で、スパルタ気質な親父らしいといえば親父らしいのだが、こういう練習スタイルを踏まえて、家でもかなり厳しいトレーニングを課してきた。
具体的には腕立て伏せ200回とか、スクワット500回とか、一文字になるまで股割りさせるとかである。
小学生なのに、こんなトレーニングメニューを学校から帰るたびにやらされていた。
これが終わるまでは友達と遊んだりどこかに出かけてはいけない、という具合だ。
そして、そういう課題から逃げ出すことなく、時には泣きながら、律儀に俺たち兄弟はそれをこなしていた。
親父としては、こういう方法でこそ強くなるんだ、と思っていたんだと思う。
色々なことに気を散らせるな。
一つのことを簡単にやめるな。
親父はこういうことを言う性格だった。
だから親父らしいと言えば親父らしい方針だっただろう。