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「小学生時代は地獄だった」朝倉未来が明かす“伝説の原点” 気の弱い少年を父親はどう変えたのか
text by
朝倉未来Mikuru Asakura
photograph by©RIZIN FF/Sachiko HOTAKA
posted2020/12/27 11:03
格闘技界のカリスマ、朝倉未来はどんな幼少期を過ごしてきたのだろう
相撲を習い始めたのは、“気の弱さ”がきっかけだった
小学四年生になると、空手に加えて相撲を習い始めた。
幼稚園の頃、友達を投げ飛ばしたエピソードがあったのだが、実際に習うようになったのはけっこう後のことだ。
これは、親父が俺の気の弱さを克服させようとしてのことだった。
子供の頃の俺は、身体能力こそ高かったものの、気持ちの方は勝ち気ではなかったらしい。
それが比較的はっきり現れたのが空手の試合だった。
特に小学生の部門では、体重差などで選手が分かれておらず、全てが無差別級で行われていた。
だから、自分よりも一回りも二回りも体が大きい子供と対戦することがあった。
そしてその度に怖気づいて、力を発揮できていなかったらしい。
それだったら、自分より大きな体格の子供しかいない相撲をやれば慣れるのではないか、と考えたのである。
それから、どうも親父には、街の喧嘩だったら相撲が最強だろ、と考えている節があった。
俺自身も、街の喧嘩をする相手となったら、相撲取りは相当強いだろうと思う。
余談だが、路上の喧嘩で最強なのは総合格闘技のヘビー級選手だと確信している。
その見解は恐らく、今後も変わらないだろう。
体重が2倍、もしかしたら3倍の子もいたかもしれない
それはさておき相撲である。
結局俺と弟は相撲の道場に通うことになる。
そもそも相撲の道場などというものが近場にあるのも珍しいが、まして、細い子が相撲をやろうという話になるはずもない。
実際、俺たち以外には細い子供はいなかった。
俺たちは、細くて小さかった。
体重差で言ったら、回りの子は2倍とか、もしかしたら3倍の重さの子もいたかもしれない。
普通は太いから相撲をやろうという話になるのであって、それ以外の発想で相撲をやろうとすることが珍しいのだ。
たまたま豊橋では、わんぱく相撲大会のような催しがあったので、多少、他の地方と比べて親しみがあったということはあるかもしれない。
いずれにせよ、俺は相撲に本気で取り組むことになった。
痩せっぽちの体型でも、回しを締めて、他の大柄な子供に混じって互角以上にやっていた。
突っ張りを受けると頭が揺れたし、立ち会いのはっけよいの頭突きで、激しい脳震盪を食らうこともあった。
それでも持ち前の格闘センスがあったのか、体格差を無効にするように試合には勝つようになった。
相撲大会では、県大会まで進んだはずである。
このときに手に入れた体幹や腰の強さが、後にやる総合格闘技でも生きてくることになる。
相撲には週2、3日は通うことになった。
空手に通っていたことを合わせると、一週間毎日格闘技をしていたことになる。
それまでも格闘技漬けのような生活だが、もはや格闘技中毒のような生活になっていた。
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