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東海大一・サントス、武南・ 江原、岐阜工・ 片桐…得点王3人が語る選手権秘話「バナナシュートは神様の合図で」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/01/10 11:02
左から三渡洲アデミール、江原淳史、片桐淳至
「選手権のヒーローになったんだ」それで十分だった
選手権の興奮の余韻が残る中、高校選抜に選ばれた江原は、駒沢競技場での国際試合に出場する。この試合後、予期せぬ出来事が起きた。選手バスへと引き揚げていく江原のもとに、大勢の女の子たちが殺到し、もみくちゃにされたのだ。
喧騒の中で江原は、ふと思った。
「俺、選手権のヒーローになったんだ」
これだけで十分だった。
この年、日本サッカー界はついにプロリーグの時代へと突入する。一大会最多得点記録を更新した江原のもとにも、当然いくつかのオファーは届いた。だが彼は、中央大学に進む。
「ぼくには、プロになる気はほとんどありませんでした。痛みが治まる気配はなかったし、Jリーグの盛り上げ方がえげつなくて、惹かれなかったんです」
“選手権命”で走り続けた若者は大学サッカーのメッカ、西が丘のアイドルになった。
〈3〉片桐淳至の選手権
'93年に華々しく開幕したJリーグは、日本サッカー界の形を劇的に変えた。サッカー少年の夢だった選手権は、Jリーガーになるための一過程になった。そのことを象徴的に表わしていたのが2001年度の得点王、岐阜工業の片桐淳至の言葉である。
県予選を制した直後、「全国への意気込みを」とマイクを向けられ、片桐は言った。
「卒業後の進路が決まっていないので、就職活動のつもりでがんばります」
サントスや江原とは違い、片桐は得点王のタイトルに執着していた。
「チーム成績と違い、得点王は個人名が残る。ぼくはJリーガーになって、サッカーでメシを食う生活がしたかった。そうなるには、個人として結果を残さなきゃいけない。それには得点王がいちばんですから」
もっとも片桐は、「俺が俺が」と仲間を押しのけて得点王を射止めたわけではない。ビッグマウスとも評された強気のストライカーは、冷静沈着にプランを遂行した。
「得点王になるには、チームが勝ち進まなきゃいけない。ですからフィニッシュを狙うだけでなく、囮になって周りを生かすプレーを増やしました。仲間に決めさせると、今度は自分のマークがゆるくなる。相手も攻めてくるのでスペースが生まれる。それを狙ったんです」