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岩隈久志1年目のキャッチボール「危ないと、直感が走った」 投球禁止から始まった日米170勝の下準備
text by
倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)Yohei Kuraseko
photograph byKyodo News
posted2020/11/18 11:01
マウンドにいる岩隈のもとへ駆け寄り言葉をかける久保コーチ(当時)
自宅に招いた焼肉パーティ
投手コーチ駆け出しだったころは、藤井寺球場の選手寮に住む若手投手陣のために、大阪府羽曳野市の自宅で焼き肉パーティーを開いた。大塚さんも、岩隈さんも、何度も訪れた。あまりに大量に肉を購入するものだから、精肉おろし問屋の店員に「焼き肉屋さんですか?」と聞かれたことも、炊飯器のごはんがあっという間になくなったことも、よき思い出として残っている。
当時では珍しく、球団にはトレーニング専門のコーチがいたことも見逃せない。それまでの野球界の常識にとらわれないアプローチで、選手は鍛えられていたという。「プロに入って来たころのクマと言えば、がりがりのゴボウですよ」と久保さんが懐かしむ細身の体は、水を吸うスポンジのような熱心な姿勢もプラスに働いて、徐々にプロ仕様の肉付きに変わっていった。
「いろんなことがかみ合ったんでしょうね。こちらも指導に迷いがなく、こうしようかな、ではなく、こうしようと言えた。聞く方も聞きたいというスタンスだから、うまくいったんだろうね」
教える側と教えられる側の波長が合い、ドラフト5位は記憶にも記録にも残る日本を代表する右腕へと、羽ばたいた。
ねぎらいの言葉の真意
引退の報告は、10月19日の発表前日に電話でされた。近鉄の一、二軍のコーチとして指導し、楽天、マリナーズへ移った後も、タイミングが合えばワンポイント・アドバイスを送った。米大キャンプをアポなしで訪問し、涙の再会をしたことも昨日のことのように甦った。
明るく前向きだけど、控え目な面もあった「アナグマ」が、まさか、ここまでになるとは。「おめでとう、ようがんばった」。電話越しにねぎらいの言葉に続けたのは、「クマ、野球界で人を育てろよ」という願いだった。
期待そこそこに入ったドラフト下位指名が、同じように下位指名を大投手に育てれば、それは素敵なストーリーになる。
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