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岩隈久志1年目のキャッチボール「危ないと、直感が走った」 投球禁止から始まった日米170勝の下準備
text by
倉世古洋平(スポーツニッポン新聞社)Yohei Kuraseko
photograph byKyodo News
posted2020/11/18 11:01
マウンドにいる岩隈のもとへ駆け寄り言葉をかける久保コーチ(当時)
久保さんが提案した「2段モーション」
近鉄時代の代名詞となる「2段モーション」は、プロ1年目に形づくられた。提案したのも久保さんだ。
「1本足にして、“割れ”を早くつくることで、腕の振り遅れをなくすことが狙いでした」
腕を先にだらんと降ろしたのは、次の動作への準備を早くするため。これで、踏み込みから体重移動という体の流れに、腕が連動して動くようになった。飛躍のきっかけとなった特徴的な投げ方は、実は故障回避のために生まれたのだ。
大塚晶文の成功体験
久保さんは、近鉄と阪神で20年の投手生活を終え、コーチになって3年目に「クマ」に出会った。それ以前に、大塚晶文さん(48/近鉄、パドレス他)の育成にもたずさわっていた。
日米で抑えとして大成した豪腕を教える過程で、「投手の悪い癖はこういうところにあるのでは、というのをつかみかけていた」という。大塚さんでの成功体験を、岩隈さんに注入。体重移動の方法、腕の遅れの直し方だけでなく、人差し指と中指をボールの縫い目にかける「ツーシームスライダー」と呼ばれる変化球も伝授した。150キロに迫る直球と、切れ味鋭い横の曲がりを武器に、プロ3年目の02年にローテーションに入り、03、04年は連続で15勝を挙げた。04年に消滅する近鉄のろうそくの最後の炎になった。