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事務所受付2坪の田舎町クラブだけど、サッスオーロが“サッカーの理想郷”なワケ 

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弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

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posted2020/11/13 06:00

事務所受付2坪の田舎町クラブだけど、サッスオーロが“サッカーの理想郷”なワケ<Number Web> photograph by Getty Images

流麗なパス回しでセリエAを席巻するサッスオーロ。小さな街のクラブだが、大きな夢を持っている

アッレグリもディフランチェスコも

 資金面が盤石なら目先の結果に囚われることなく、理想のサッカーを追求する余裕が生まれる。

 名将アッレグリは、40歳になったばかりの07年夏に3部在籍サッスオーロの監督に就任してセリエB昇格を勝ち取った。12年に43歳で就任した前述のディフランチェスコは、通算5シーズンを率いてクラブ史上初のA昇格とEL出場をもたらしている。

 彼らは異口同音に、経営不安がないサッスオーロで働いた時期を「キャリアにおける重要な分岐点だった」と述べている。

 A昇格に合わせて近隣のスタジアムを買い取り、19年の初夏には、グラウンド6面を持つ総敷地面積4万5000平方mの超近代的トレーニング・センターを親会社グループの総力をあげて完成させた。

 選手も監督もスタッフも、できるならカビ臭い公営競技場じゃなく、出来たてピカピカの最新施設で働きたいに決まっている。労働意欲が違ってくる。私見だが、「マペイ・フットボールセンター」には、ミラノやローマの4クラブでも太刀打ちできない。箱モノの古さはイタリアの泣き所だが、サッスオーロはその例外だ。

イタリア式パトロンは時代遅れかもしれないが

 最大のパトロンだったジョルジョ翁はトレセンの完成を見届けた後、昨年10月2日に76歳で天に召された。翌11月、その妻アドリアーナも後を追うように亡くなった。スクインツィ家は悲しみに打ちひしがれたが、これを機にカルチョの世界から手を引こうなどと考える者は誰一人いなかった。

 今秋、両親の1周忌を終えた娘ベロニカは、副会長として亡父の遺志を継ぎクラブの発展に奔走している。「ロカテッリやカプートのイタリア代表招集はとても誇らしいこと」と胸を張り、さらなる飛躍を指揮官デゼルビに託す。

 欧州のトップコンテンダーだけを眺めれば、一族経営を基盤とする“イタリア式パトロン経営”は時代遅れかもしれない。

 しかし、カテゴリーの上下を問わず、プロビンチャーレの多くは地元有志や個人オーナーの合理性を超えた熱に支えられている。

【次ページ】 「いつの日か必ずCLの高みに到達する」

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