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<涙の引退>オリックスを支えた38歳山崎勝己 若手投手、後輩捕手が「勝己さん」を慕った理由
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2020/11/13 11:00
現役最後の試合を終え、ナインに胴上げされる山崎勝己。ルーキー宮城大弥のプロ初勝利、鈴木優のプロ初セーブをアシストした
悔いは優勝へ導けなかったこと
山崎は2000年のドラフト4位で、報徳学園高からダイエーに入団した。その後、チームはソフトバンクとなり、05年に初めて一軍出場を果たす。06年には自己最多の105試合に出場し、日本一に貢献した。
13年オフにオリックスへFA移籍。当時は伊藤光(現・DeNA)が正捕手で、山崎は抑え捕手として起用されたり、先発だったブランドン・ディクソンとバッテリーを組んだ。その後、若月健矢が起用されるようになり、山崎は主に二番手捕手として支えたが、過去2年間は一軍出場の機会が激減し、二軍で過ごす時間がほとんどだった。
引退の決断についてはこう語った。
「今シーズンは一軍出場が1試合ということで、まったくもって、これだけお世話になっているオリックスに、なんの貢献もできなかった。何よりもう戦力になれていないということで、もういいんじゃないかという気持ちになったのが一番です。福良(淳一)GMに、そういう話をいただいて、すぐに、はいわかりましたというふうになりました」
プロ生活でやり残したことを問われると、「やはりオリックスを優勝させられなかったこと」と答えた。オリックスでの7年間については、「勝てなかったのは本当に申し訳ない」「僕の力及ばず、すいませんでした」と謝罪の言葉が続いた。
ファンへのメッセージを求められると、「まったくいい数字も残せず、歯がゆい思いばかりさせたと思いますが、僕にいただいた声援は本当に忘れられません」と語った。
山崎が残した数字では表せないもの
打撃の数字で見れば、オリックスに移籍後は打率.171、本塁打は0、20年間トータルでも打率は.196と振るわなかった。
だが、巧みなリードや捕球の安定感、そしてその人柄は、投手に安心感を与えた。
山崎勝己は、数字には表れない部分で、オリックスに多くのものを残した。
二軍での苦労を経て一軍で活躍した投手に話を聞くと、自然と山崎の名前が出てくる。例えば、プロ6年目の今年、先発で一軍初勝利を挙げた鈴木優は、「速い系の変化球が1つないと、今のままでは上では厳しいぞ」と山崎に助言され、ツーシームを習得。そのツーシームを軸に初勝利を飾った。
11月6日の引退試合の9回に、山崎と最後にバッテリーを組んだのは、その鈴木だった。そこで1点のリードを守りきり、来季に向けてリリーフ起用を試されている23歳に、プロ初セーブをプレゼントした。