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アドマイヤラクティの死から6年 メルボルンCで崩れ落ちた優駿を忘れない…今年もまた同レースで悲劇が
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2020/11/06 17:00
メルボルンCでのアドマイヤラクティ。死後、同馬は火葬され、遺灰は豪州の功労馬繋養施設であるリビングレジェンズ内の霊園に埋葬された
「“これなら勝てる”と感じていました」
この年のメルボルンCは11月4日に施行された。コーフィールドCの10月18日からという臨戦過程がどう出るかと思われたが、当日の雰囲気は決して悪くなく、レース直前、梅田調教師も次のように話していた。
「中間の調整も競馬場への輸送もうまく行き、良い雰囲気です。前走みたいにいきたいですね」
いざゲートが開くと、スタート直後はあまり好位とは言えないのでは、と思われたものの、「不利を受ける位置にはいたくなかった」というパートン騎手の誘導で、すぐに逃げ馬の後ろにつける形となった。序盤から中盤にかけて、パートン騎手はその手応えを後に次のように述懐した。
「無理なく良い手応え。でも掛かる事もなく流れに乗れていたので“これなら勝てる”と感じていました」
一瞬のうちに最下位、外傷はなし…
しかし、ラスト800メートル付近でその想いがいきなり崩れた。再び当時のパートン騎手の弁。
「まだあと800メートルもあるのにいきなり手応えが無くなってしまいました。何が起きたか分からないけど、急にパワーがなくなったんです」
2番手から一瞬のうちに最下位まで下がった愛馬を見て、梅田調教師は感じていた。
「いつもより前に行く競馬だったため、抜かれた時点で集中力が無くなったのかと思いました。後はとにかく怪我なく無事に上がって来てくれる事を願いました」
アドマイヤラクティは歩くようにして最下位22着でゴールした。とりあえずゴールまで辿り着いた事で「怪我ではないようだ」と陣営は一度、胸を撫で下ろした。実際、ジョッキーが下馬するのも待てない勢いで脚元をチェックしたところ、とくに大きな外傷は見当たらなかった。