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「カネを出さなければ勝てない!」2年連続最下位でも…野村克也が阪神オーナーを説教した日
posted2020/10/09 17:02
text by
清武英利Hidetoshi Kiyotake
photograph by
Bungeishunju
“どん底”続きだった「広島カープ」と「阪神タイガース」。2人の異端なサラリーマンが、両チームの改革に奔走し、優勝を果たすまでを追った傑作ノンフィクション『サラリーマン球団社長』(清武英利 著)が3刷と売れ行き好調だ。
「まさに野球版“半沢直樹”」と話題の本書。そのなかから、野村克也氏が阪神の監督就任2年目、オーナーに不満をぶちまけるシーンを転載し紹介したい。(全2回の2回目/前編から続く)
「まさに野球版“半沢直樹”」と話題の本書。そのなかから、野村克也氏が阪神の監督就任2年目、オーナーに不満をぶちまけるシーンを転載し紹介したい。(全2回の2回目/前編から続く)
川上哲治は、巨人を1965(昭和40)年から9年連続日本一に導いた不世出の監督である。王貞治、長嶋茂雄を筆頭に圧倒的な戦力を抱え、球団の豊富な資金力をバックにしていたが、「たまに優勝するのではまぐれだと言われてもしかたない」と語ることのできる唯一の監督で、14年間に及ぶ非情な采配で「鬼」と言われた。
その川上が1963年5月、富山での広島戦を終えて帰京するなり、読売新聞社社主で巨人オーナーの正力松太郎に呼びつけられ、こっぴどく叱責された。
川上が執筆した『遺言』(文春文庫)によると、大量点で勝っていた試合をひっくり返され、むかっ腹を立てた川上は若い投手を続投させた。それを正力は見逃さなかった。正力は言った。
「お前は試合に私情を混じえた。わたしはお前をそういう男には見ていなかったので監督にしたんだ。(中略)失敗も許すが、この精神を無視した試合をしたら、この次はクビだ」
「打撃の神様」とも呼ばれた監督を呼びつけ、説教する権力者がその上にいたのである。
以来、川上は何事にも私情を混じえないことを誓った。
「鬼」川上哲治から届いた手紙
彼が93歳で亡くなる4年前に、私(著者)は便箋5枚の分厚い封書を川上から受け取っている。当時の私は巨人の球団代表の職にあり、補強の一方で、選手育成を組織の核となる新たな強み(コア・コンピタンス)にしたいと、この人にチーム編成や育成手法について助言を求めていた。
正月に、川上から届いた手紙の最後にはこう記されていた。