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後悔の涙ではなかった…菊池雄星が明かした「高卒メジャー行きを封印した“あの日”」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byIWATE NIPPO/Kyodo News
posted2020/09/30 11:00
花巻東高のエースは2009年メジャー行きを封印し、西武入団を決断した
メジャー行きを封印した2つの理由
菊池は何かを始めたり、決断する際、情報を多く集めたいと思う性分だ。それは今も変わらない。新しい知識に触れる時、人から話を聞くだけでは納得できず、手に取って試そうとする。新しいトレーニングがあると聞けば、まずやってみるし、そのトレーニング理論についての書物はすぐ取り寄せる。アメリカに行って確認するという作業は、彼にとって当たり前の行動だった。
しかし、それは叶わなかった。騒動があまりにも大きすぎたからだ。
そして、メジャー行きを封印する。
「理由は色々ありますけど、アメリカに直接行けなかったことが1つです。マイナーではハンバーガーしか食べられないとか言うじゃないですか。いまならそれも楽しいじゃんって思えますけど、当時はそうなのかって思う自分がいました。2つ目の理由は『田澤ルール』の存在です。4、5年、マイナーでやってクビを切られたら、どこに行けばいいんだという現実問題はありました。大きくはこの2つが理由でメジャーは諦めました」
田澤ルールとは、日本の球団を経ずアメリカに渡った選手が日本に戻ってプレーする際に、一定期間の復帰制限措置が生じること。夢を追った若者を『日本野球界の裏切者』扱いするかのような悪しきルールだ。
目標にフタをしたとき、こみ上げた想い
かくして日本残留を決めた菊池は記者会見でその旨を語ったのだが、会見の終盤になって大粒の涙をこぼした。この光景は多くの憶測を呼んだが、それは決して後悔の涙ではなかった。思い返せば、1人のスカウトの存在が自分を大きくしてくれた。その人物のありがたみを感じるほど、複雑な想いが去来したのだった。
「高卒でメジャーに行くという大きな目標を明確に立てたからこそ、甲子園まで行けたと思うし、あれだけの成績を残せた。そのきっかけを作ってくれたのは小島さんだった。これでひとまず、僕自身の進路が決まったんだ。一つの目標に蓋をしなきゃいけないとなったときに、親の気持ちや小島さんへの想いがこみ上げてきました」
実は進路決定を周囲に伝えた際、両親からやや複雑な胸中を告げられている。幼少のころから習い事や進路を決める際には「好きなようにしていい」という教育方針の両親だったが、この時だけは違っていた。
「反対をされたわけではないんですけど、アメリカに行って欲しかった、と。アメリカに行けば、しがらみなくのびのびできるし、名前を忘れられるくらいになって、そこから這い上がれば楽しい人生になる。でも、日本だと1年目から活躍しないと叩かれてしまう。そういう姿を見たくないと言われたんです」
迎えたドラフトで、菊池は6球団から指名を受け、抽選により交渉権を獲得した西武に入団した。以後、過去に抱いた夢を思い返すことはなかったという。