Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
後悔の涙ではなかった…菊池雄星が明かした「高卒メジャー行きを封印した“あの日”」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byIWATE NIPPO/Kyodo News
posted2020/09/30 11:00
花巻東高のエースは2009年メジャー行きを封印し、西武入団を決断した
菊池がメジャーに興味をもった“きっかけ”とは
そもそも、彼がメジャーリーグに興味を持ったのはある人物の存在が大きい。
菊池は言う。
「ドジャースのスカウトだった小島圭市さんの影響が大きかったです。日米どちらも多くのスカウトは、僕が高校3年になって甲子園で活躍してから見てくれるようになりましたが、小島さんは高校1年の冬からグラウンドに来てくれました。毎月最低1回は来てくれて『今を見ているんじゃない、5年後、10年後の可能性を感じている』という視線は僕にとって大きな励みでした」
高校1年冬といえば、菊池が悩みのどん底にいた時だ。1年夏の甲子園に出場し、5イニングの登板を果たした。その最後のイニングを全力で投げると2三振を奪った。県予選では球速も145kmを記録した。
ところが、甲子園を終えて岩手に帰ると、“最速145kmを投げる1年生左腕”という評判に、つい力みかえってしまい、本来のフォームを見失った。
自身の思ったようなボールを投げることができなければ、結果も出ない。そう落ち込んでいた時だったから「メジャーリーグのスカウトが興味を示している」という事実は、菊池の心の支えだった。
「メディアなどでも話題になりましたけど、81マスからなる大谷翔平の“目標設定シート”は、僕らの世代以前から花巻東で取り組んでいて、当然、僕も書きました。1年生の冬に目標の真ん中に書き込んだのは『高卒メジャー』でした。小島さんの存在が大きかったので、僕の目標になりました」
監督に伝えた、たった一つのお願い
報道は過熱した。菊池が決めかねていたこともあったのだが、憶測だけが先走り、「メジャー挑戦」と「日本残留」のつばぜり合いがメディアによって繰り広げられ、「二転三転していた」という冒頭の言葉に繋がっている。
菊池は日米20球団と面談の機会を持った。特定の球団だけに限定した接触は不公平が生じると日本高校野球連盟より通達されていたからだが、各球団首脳の話を聞いた上で決断することにしていた。
その間、誰にも相談しなかったという。花巻東の野球部寮に住んでいたから、両親と話すことはなかったし、同校の佐々木洋監督から「自分で決められない人間になってはダメだ」とも言われていた。
ただ、監督には一つだけお願いをした。
「アメリカに行ってみたいと伝えました。見に行かないと分からないじゃないですか、アメリカの雰囲気とか。実際に見ることによって『ここでやりたい』と思うかもしれないし、『ここは合わない』となるかもしれない。だから、一度、見てみたいと」