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ノムさんは「高知で3番目」とボヤいたが…… ドラ戦士が大化けを予言、藤川球児の“覚醒前夜”
 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2020/09/10 07:00

ノムさんは「高知で3番目」とボヤいたが…… ドラ戦士が大化けを予言、藤川球児の“覚醒前夜”<Number Web> photograph by Kyodo News

80試合に登板し「最優秀中継ぎ投手賞」を獲得した2005年の藤川。対戦相手の一流選手たちは、ブレーク以前から大器の片鱗を感じ取っていた。

「これはとんでもない投手になる」

 阪神とはライバル関係にある中日には、いくつかの予言や証言が残っている。阪神関係者を除くと、いち早く藤川の才能を見いだしたのが山本昌氏だ。

「たしか球児が2年目か3年目あたりだったと思います。ベンチから彼が投げる球筋を見ると、きれいに打者に向けてラインが出ている。これは近いうちにとんでもない投手になるなと感じたことは、今でもよく覚えていますよ」

 藤川が初めて一軍で投げたのが2年目(2000年)の19試合。翌3年目は登板がないので、山本氏の記憶に間違いがなければ2年目、もしくは4年目(12試合に登板し、1勝5敗。これがプロ初勝利だった)ということになる。上からたたけ。前で放せ。手首を立てろ。のちに臨時コーチとして藤浪晋太郎の再生指導でも説いた、山本流の「投手3箇条」を藤川は満たしていた。こいつは化ける。その見立ては当時の関係者にも伝えており、見事に言い当てている。

まだ大投手誕生の影はなかった

 それでも5年間で48試合に投げ、2勝6敗。のちの大投手誕生を思わせるだけの数字ではない。迎えた6年目もようやく一軍で初登板できたのは、オールスターも終えた7月末だった。甲子園での中日との3連戦に、藤川はすべて登板している。27日の第1戦は4点ビハインドで打者3人を無安打、2三振。大乱打戦となった翌28日は、延長11回、9対10と勝ち越された直後にマウンドに上がり、3連続三振に仕留めている。

 そして29日も打ち合いは続いた。7対6の8回、つまり3試合目にして初めて勝ちパターンのマウンドを任された藤川だが、一死から味方の失策で出塁を許すと、荒木雅博、井端弘和に連打を浴び、同点に追いつかれた。ここで降板。試合は延長12回、8対7でサヨナラ勝ちし、3連敗は免れた。

【次ページ】 今でも忘れない、ねらった球種

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