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ノムさんは「高知で3番目」とボヤいたが…… ドラ戦士が大化けを予言、藤川球児の“覚醒前夜”
 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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posted2020/09/10 07:00

ノムさんは「高知で3番目」とボヤいたが…… ドラ戦士が大化けを予言、藤川球児の“覚醒前夜”<Number Web> photograph by Kyodo News

80試合に登板し「最優秀中継ぎ投手賞」を獲得した2005年の藤川。対戦相手の一流選手たちは、ブレーク以前から大器の片鱗を感じ取っていた。

藤川の覚醒前、最後の失点

 藤川が第1回WBCの日本代表メンバーとして戦い、凱旋帰国した2006年の4月12日。中日は0対5の劣勢から6回に一挙4点を挙げ、阪神はたまらず藤川を投入する。回をまたいだ7回、二死二塁から再び同点打を放ったのが井端氏だった。登板時から5人目の打者。自分の3球目までの27球中、26球が「火の玉ストレート」だった。

 2ボール1ストライク。引っ張れないと見越して、遊撃手の鳥谷敬は二塁ベースのすぐ近くを守っていた。因縁のカーブはおろか、フォークも捨てると決めた。しかし、わかっていても打てない、ましてや引っ張れないのが藤川のストレートだった。全身全霊をかけて、三遊間を破った。「F」を崩せば勝利は近い。8、9回と加点し、中日は逆転勝利した。この3日後から藤川の大記録は始まり、中日は阪神に奪われた覇権を、再び奪い返すシーズンとなる。

「記憶しているのは藤川だからですよ。誰との対戦でもこんな風に覚えているわけではありません。それだけの投手でしたから。2割6厘ですか? よく打っているじゃないですか。あんなすごい男から」

 2000年に始まり、2012年に終わった二人の対戦。早々に「ただ者ではない」と気づき、34打数7安打をも清々しく語れる。得意や苦手を超越した、濃密な対戦だったということだ。

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