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ノムさんは「高知で3番目」とボヤいたが…… ドラ戦士が大化けを予言、藤川球児の“覚醒前夜”
posted2020/09/10 07:00
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
Kyodo News
1999年に阪神の監督に就任した野村克也氏は、1年目のドラフト1位について、こんな毒を吐いていた。
「高知で3番目の投手を指名しやがって」
当時、その投手は夏の甲子園で松坂大輔をあと一歩まで追い詰めた明徳義塾の左腕エース・寺本四郎、高知高の土居龍太郎とともに「高知三羽がらす」と呼ばれていた。その「3番目」をわざわざ1位で指名してというぼやきである。
もっとも、期待値が低い順から「無視」、「称賛」、「非難」する、と使い分けるのが野村流だから、心の中では資質を見抜いていたのかもしれない。また、就任直後から阪神が暗黒時代から抜け出せないのはスカウト部門に原因があると考えていたため、改革のメスを入れるための布石だった可能性もある。それとも名将、知将の名をほしいままにした野村氏の眼力をもってしても、18歳のひょろりと痩せた少年は凡庸に映ったのか。
白鳥になった唯一の男
もうおわかりとは思うが「高知で3番目の投手」とは、先日、今シーズン限りでの現役引退を発表した阪神の藤川球児である。「火の玉」と呼ばれる圧倒的なストレートと、若手投手陣への絶大な影響力をもつ右腕。参考までに記せば、ロッテにドラフト4位で入団した寺本は、登板20試合、未勝利のまま現役を引退。法大へ進み、横浜(現DeNA)に自由獲得枠で入団した土居は、龍太郎と登録名を変え、ロッテに移籍したものの通算32試合、1勝5敗で選手生活を終えている。それぞれが精いっぱい取り組んだ結果ではあるのだが、三羽がらすのうち、美しい白鳥へと成長したのは藤川だけだった。
藤川がどれほどすばらしい投手なのかは、すでに書き尽くされている。ここでは冒頭のエピソードを含めた「覚醒前夜」からの物語をお届けする。