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羽生結弦、GPシリーズ欠場に寄せたメッセージ。ライター松原孝臣はこう読み解いた。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto
posted2020/09/06 11:40
新型コロナ感染拡大が続いていた今年5月にはファンに向け、3本の演技の動画を公開した羽生。
トップアスリートとしての責任感。
しかも、北京五輪のプレシーズンだ。また、今年12月に26歳の誕生日を迎える。フィギュアスケートでは十分、ベテランの域にある。それらを考えても、試合に出ないと決めるのは、決して容易なことではない。
それでも欠場を選択した。しかも自身のことのみならず、その目には大会に携わるスタッフなどの姿も映っていたはずだ。周囲を慮り、決断したその視野の広さと自身への客観性、そしてトップアスリートとしての責任感がある。そこに羽生の真骨頂がある。
それは1つのメッセージにもなっている。
GPの開催が発表されると、たとえ例年と異なる運営になるとはいえ、選手も含め関係者からは、不安視する声があがった。その中にあって、こういう選択肢もある、と示したことだ。そして大会のありようをもう1回見直すための契機ともなる。
試合に出ない、つまりは行動を控えることで全体に影響を与える行動にもなっている。そうした意味合いのある決断でもある。
より積極的に時間を用いることができる。
こうして羽生は、GPの欠場を選んだ。
ただし、先に記したとおり、大怪我を除いて初めての欠場である。
これまで怪我で欠場を強いられたときには、置かれた環境で最善を尽くし、復帰を志した。例えば怪我に関連する論文を読んで学ぶなどして時間を無駄にしなかった。
今回は、自らの選択での欠場だ。より積極的に時間を用いることができる。
実際、かねてから成功を期してきた4回転アクセルへのモチベーションは今日も高い。4回転アクセルの習得をはじめ、スケートと自身のパフォーマンスとじっくり向き合い、高めるための機会となり得る。
いつか、羽生がリンクに再び立つ日が来るだろう。
そのとき、どのような滑りを、演技を見せるのか。
そんな想像もふくらむ、欠場という決断であった。