オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(14)>
ロンドン五輪 サッカー・徳永悠平
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byJMPA
posted2020/08/02 09:00
韓国との3位決定戦に敗れ、味方選手が倒れ込む中、ピッチを後にする徳永悠平。
スペイン相手の番狂わせで一変。
ロンドンへ出発の日。羽田空港は閑散としていた。彼らへの期待の低さを物語っていたが、徳永にはそれが吉兆に思えた。
《初戦に勝てればすべてが変わるような気がしていました。強い相手に勝つ。このチームに必要なのは自信だけでしたから》
彼らがブレイクアウトするための引き金として徳永が照準を合わせたのがグループリーグ初戦のスペインだった。南アフリカW杯、欧州選手権を制した無敵艦隊は当時、紛れもなく世界王者だった。
そして開会式前日に行われた初戦、徳永の予感は現実のものになった。
前半34分。コーナーキックから大津が滑り込むようにネットを揺らした。
「王者、敗れる――」。無名の若者たちが起こした番狂わせは世界中を駆けめぐるヘッドラインになった。
《そこからはみんな目に見えて変わりました。迷いなく仕掛けていく。人って自信だけでこんなに変わるんだというくらいに》
そして徳永から見て、もっとも劇的な変化を遂げたのが山口螢だった。
山口がどんどん視界に入ってくる。
日本の攻撃は徳永らサイドバックを起点にスタートするのだが、徳永がボールを持つと山口が視界にどんどん入ってくるようになった。パスを受けると、敵の包囲網を怖れることなく前線へと繋いでいった。
徳永はそんな山口の背中に、このチームの限りない可能性を見ていた。
日本はグループリーグを無敗で突破すると準々決勝でエジプトに3-0で圧勝。準決勝ではメキシコに敗れたものの、1968年以来のメダルマッチへ辿り着いた。
《日本ですごい騒ぎになっていることは聞いていました。だから絶対にメダルを取ろうと。メダルがあるとないとでは天と地ほどの差があるんだと。韓国戦前のミーティングではそう話していました》
日本サッカー界では五輪のたびメキシコ五輪銅メダルの記憶が掘り起こされる。逆に言えば、それしか記憶されていない。それがオリンピックだと、誰もがわかっていた。ただ徳永にはそれとは別にもうひとつ、メダルを取るべき理由があった。
《もちろん個人としてメダルが欲しい気持ちもありましたけど、若い選手が自信をつけて、あそこまでいけた。その証のような、ずっと残るものが欲しかったんです》
このチームならできる。確信があった。