球体とリズムBACK NUMBER
なでしこ10番籾木結花、米移籍の意味。
ラピノーとの共演と日本への還元。
text by
井川洋一Yoichi Igawa
photograph byOL Reign
posted2020/07/03 07:00
モンタナ州のキャンプ地に合流した籾木結花。制限がある中、チームメイトと交流を重ね、1日のカップ戦で新天地デビュー。
世界一の熱狂、その後の静寂。
「なでしこジャパンが世界一になったとき(2011年)は、東日本大震災が起こった年で、日本国民にはなでしこの世界一が必要だったと思うんです。そして本当に優勝すると、ものすごく盛り上がりましたが、それと同時に日本女子代表は世界一になれるチームだと捉えられるようになってしまいました。でも実際は、日本は優勝候補ではなかったし、多かった劣勢の時間を全員で耐えて、数少ないチャンスをものにして勝ち上がっていったんです。決して、世界を圧倒したわけではないんです」
もちろん当時15歳だった彼女も、先輩たちのW杯制覇に興奮した。ただ同時に周囲の変化もつぶさに見てきた。優勝の前は無料チケットを配ってもベレーザの公式戦に来てくれなかったお客さんたちが、世界一の後には何もしなくても客席を埋めるようになった。だがそれも長くは続かず、4年後の2015年W杯では惜しくも準優勝に終わったというのに、前回とは比べ物にならないくらい世間の反応は薄かった。
「女子代表は男子代表より良い成績を残しても、観てもらえません。なでしこは優勝しないかぎり、振り向いてもらえなくなってしまったんです」
そして籾木が初めて参加した昨年のW杯――なでしこの世界制覇から8年後の大会だ――では、選手が出発する際に空港に見送りに来たファンはほとんどいなかったという。
アスリートの価値向上、学生の支援まで。
「なでしこのW杯優勝のとき、私はメニーナ(ベレーザの下部組織)にいて、ベレーザの試合の運営とかもやらせてもらっていました。その後はじぶんがベレーザに上がるんですけど、年を追うごとにファンが減っていくのを目の当たりにして。それは私にとって大きな出来事でした。そこで感じた疑問や違和感をずっと持ち続けて、大学で研究の課題にしたり。そういうものが今のじぶんを作ったのかなと思います」
昨年、慶應義塾大学を卒業すると、サッカークラブの運営などの事業を展開する株式会社クリアソンに入社。ベレーザとなでしこの一員としてプレーする傍ら、同社の正社員として、アスリートと学生、ビジネスパーソンが集うイベントを企画したり、スポーツに打ち込んできた学生のキャリアを支援したりしてきた。