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ベッテル離脱でドイツF1界に翳り?
シューマッハーから続く栄光は……。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2020/05/27 11:00
2004年日本GPで表彰台に上がるシューマッハー兄弟(左ラルフ、右ミハエル)。ドイツの輝きは今や遠い記憶か。
ミハエル・シューマッハーの存在。
F1の70年の歴史でドイツ人ドライバー不在のシーズンは、F1が誕生した1950年と1981年の2年間しかない。この記録は70年間毎年ドライバーを送りこみ続けているイギリスに次いで多く、F1においてドイツは中心的な存在だったといっていい。
栄光のドイツのモータースポーツ史でも最も燦然と輝く存在が、ミハエル・シューマッハーだろう。'94年にシューマッハーがドイツ人初のチャンピオンとなると、'95年にはドイツGPのほかにヨーロッパGPもドイツで開催された。以後、'07年まで毎年、ドイツではホッケンハイムリンクでのドイツGPとニュルブルクリンクでのヨーロッパGP('97年と'98年はルクセンブルクGP)の2つのグランプリが開催され、ヨーロッパでのF1を牽引していった。
M・シューマッハーの活躍とドイツでのF1の盛り上がりは多くのドイツの若者たちを刺激し、新たなドライバー誕生の起爆剤にもなった。多いときには7人ものドイツ人ドライバーがF1のグリッドに並んだものだった。
ドイツを再び活気づけたベッテル。
ドイツの繁栄に翳りが見え始めたのは、'07年だ。モータースポーツ界をリードする存在だったM・シューマッハーが前年限りで最初の引退。1年に2度開催されてきたF1もこの年から、金銭的な理由によって1グランプリだけとなった。
そんなドイツを再び活気づけたのが、ベッテルだった。M・シューマッハーにあこがれてF1を目指したベッテルは、引退したシューマッハーと入れ替わるように'07年にF1デビュー。そして3年後の'10年にはそのシューマッハー以来のドイツ人チャンピオンとなる。
しかし、ベッテルがタイトルから遠ざかり始めた'14年から、ドイツでのF1人気は再び下降線をたどりだす。国内でF1の隔年開催の権利を持っていたニュルブルクリンクが開催権を放棄した'15年と'17年にはドイツではF1が開催されず、'19年の開催後にはついに'20年のカレンダーからも姿を消すこととなった。