フランス・フットボール通信BACK NUMBER
カダフィ大佐後のリビア・サッカー。
戦下の国のクラブ、代表チームとは?
posted2020/05/05 19:00
text by
フランク・シモンFrank Simon
photograph by
facebook@AlnsrClub
1969年から42年の長きにわたりリビアを支配したカダフィ大佐が亡くなったのは、2011年10月20日のことだった。その少し前から内戦に突入し、いったんは収束したものの2014年には再び内乱が勃発して今日に至っている。
度重なる戦火で国土はすっかり疲弊し、サッカーに関してもリーグ戦は2019年4月から開催されていない。試合といえば、アフリカのクラブカップ戦(チャンピオンズリーグとアフリカサッカー連盟カップ)と代表の国際試合が中立地でおこなわれているだけである。
そんなリビアの様子を、フランク・シモン記者が『フランス・フットボール』誌2月4日発売号でレポートしている。まだ新型コロナ禍が全世界的に広まる前のことで、その後は世界もリビアと似た状況に陥ったと言えなくもないが、ひとつの国が数年にわたり騒乱状態にある厳しさはわれわれの想像を絶するものがある。
だが、同時にシモン記者は、小さくはあるが希望の灯がともっていることも書き記している。その光が、コロナ禍によって翳らないことを今は願うばかりだが……。
監修:田村修一
2つに割れてしまった国のサッカー。
この1月26日、黄色い大地の上で喜びが爆発した。ジョリバ・バマコ(マリ)を相手に、アウェーで予期せぬ勝利(1対0)をあげたアルナスル・ベンガジ(リビア)が、CAFカップ(アフリカサッカー連盟カップ)準々決勝進出を決めたのだった。
勝利の直後ピッチに跪いた選手たちは、汗にまみれたユニフォームを脱ぎ捨てて勝利の喜びを身体中で表現した。
その3日後、アイウン(西サハラ)では、モロッコと西サハラの求めに応じてCAFがフットサルのアフリカカップを開催し、モロッコがリビアを3対0で下した。スコアや結果に意味はない。スペイン人コーチのフリオ・フェルナンデス・コレイア率いるリビアが、試合に出場したこと自体に大きな意味があった。
バマコとアイウン。
ふたつのエピソードは、内戦で疲弊したリビアでは、サッカーが贅沢な娯楽になってしまった厳しい現実を示している。
2011年にカダフィ大佐が逝去して以来、リビアは長期にわたる内戦に突入した。簡単に要約すれば、国は首都トリポリに本拠を置くファイズ・アルサラージ率いるユニオン・ナショナルが支配する西部と、東部最大の都市ベンガジ出身のカリファ・ハフター元帥に率いられた反乱軍が支配する東部のふたつに分断された。現在、戦線は西に移動し、トリポリは包囲された状態である。