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調子乗り世代の怒りと快進撃の記録。
内田篤人「このチームがかなり好き」 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph bySnspix/AFLO

posted2020/04/26 11:50

調子乗り世代の怒りと快進撃の記録。内田篤人「このチームがかなり好き」<Number Web> photograph by Snspix/AFLO

ゴール後のパフォーマンスで会場を沸かせた2007年U-20W杯カナダ大会。ベテランとなった今でも「調子乗り世代」は健在だ。

もう1度、2-0のところに時を戻したい。

 先攻の日本は1人目の安田理大(ジェフユナイテッド千葉)に続き、4人目の森島が失敗。チェコの5人目のキックが決まった瞬間、吉田ジャパンの2年半の活動が終了した。

 増設されたロイヤルアスレチックパークのスタンドは低い。そこから差し込む夕日で空は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。選手たちは長い影を写したピッチに倒れ込み、泣きじゃくっていた。

 快進撃を続けた「調子乗り世代」の終焉は、あっという間に訪れてしまった。

 だが、ロイヤルアスレチックパークの観客たちは、彼らを最後まで讃えてくれた。日本代表が場内一周するまで席を立たず、鳴り響いたのは惜しみない拍手。間違いなく、彼らは「グッドルーザー」だっただろう。

「俺はこのチームとともに成長してきた。選手、スタッフ、そしてメディアの人たちもこんなに一体になれるんだと思うほど1つだった。こんな経験はなかなか出来ないし、一生残ると思う」

 梅崎が試合後のミックスゾーンで目に涙を浮かべれば、中盤で奮闘した青山も「みんなで笑って、泣いて、友情の塊のようなチームだった。僕らだけでなく、スタッフ、メディアの人たちを含め、すべてが一つになって戦った」と表情を崩しながら語った。

 このチームの源は槙野、安田、柏木、森島らの底知れぬ明るさだった。チームの立ち上げ時からメディアに対してもフランクで、仲間たちやスタッフとも良好なコミュニケーションが取れる存在だった。早生まれの梅崎、河原和寿(元・愛媛FC他)らも威張ることなく、チームの個性を尊重する。内田、田中といったシャイな選手たちも、やんちゃする彼らを温かく見守っている。GK林はいじられキャラとして人気者だった。

 本大会前に新戦力としてチームに加入した香川、森重、太田らが伸び伸びと個性を発揮できる環境もあった。特に太田は最後の最後で代表入りを果たしたが、大会ではチームの盛り上げ隊の中心を担っていた。

「選手、スタッフ、メディアの皆さん。本当にみんなで戦えたし、最高の時間だった。これで終わりなんて考えられない。もう1度、2-0のところに時を戻したい。本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました」

 ミックスゾーンの我々に頭を下げて話したのは、髪を赤く染め上げた槙野だった。

 よくありがちな内輪で盛り上がるのではなく、周りを巻き込む力を持っていた。後にも先にも、こんな魅力が詰まったチームを私は知らない。

当初は「調子乗り」に怒りも。

 さらにもう1つ、裏話がある。それはカナダ大会で「調子乗り世代」と名付けられた時のエピソードだ。

 当初、日本で「調子乗り」と報道されていることを知った時は怒っていたのだ。

「俺たちだって真剣にやった上で少しでも日本のことを知ってもらいたい、応援してもらいたいと思ってやったこと。ただの調子乗り集団と思われないようにやりたい」(槙野)

「調子に乗っているだけとは思われたくないよね。ちゃんと地に足を付けてもっと頑張る」(柏木)

 挑戦はベスト16で挑戦は終わったが、この言葉の通り、ただの「調子乗り」で終わらないサッカーを見せつけた彼らは、今では率先して「調子乗り世代」というフレーズを大切に使っている。

「確かに最初は嫌だったけど、よく考えるとこれまでなかった『〇〇世代』をつけてくれたわけですから、こうして未だに多くの選手が現役で頑張って、ピッチ外でみんなで集まったりした時に、調子乗り世代と覚えてもらえるのはいいことですよね。カナダは本当に悔しさもあるけど、いい思い出しかありません」(林)

 彼らにとってあの2年半の活動、そしてカナダでの躍進はサッカー人生において重要なものとなった。「調子乗り世代」としての誇りを胸に、それぞれのステージで戦い続けている。

 あの日、カナダで彼らを照らした夕日と、惜しみない拍手は決して色褪せない。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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