野球のぼせもんBACK NUMBER
ルーキー・松田宣浩を覚えているか?
2006年の熱男と王監督の助っ人解雇。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2020/04/18 09:00
2005年ドラフトの希望枠で入団を表明した松田を、亜細亜大に訪れた王監督。
軽いバットで速いスイングを。
また、使用するバットにこだわりを持つようにも指導された。プロ野球選手としては決して体が大きい部類ではないが、打球が飛ぶ秘訣はスイングスピードの速さが優れていたからだ。当時はまだ900グラム台が主流だったバットの重さを軽くし、870~880グラム程度のものを選ぶようになった。
その後、上記したような独特の感性がバッティングに肉づけされていき、松田宣の基盤が完成したのがプロ6年目の2011年シーズンだった。初めてシーズンフル出場(144試合)を成し遂げ、打率.282、25本塁打、83打点を記録した。
この年は「飛ばないボール」が使用されて極端な投高打低だったが、その中で成績を上げたことで評価を一気に高めた。
「あの年が僕の分岐点になりました」
「野球をやめるまでこのテンションで」
そして、その当時、こんなことを語っていた。
「(2011年は)ホークスの一員として初めて日本一になり、勝つとあれだけいい思いが出来るんだと実感することができました。常に勝ち続けたい。そして、僕も元気と泥臭さを持ったまま活躍し続けたい。若いからでなくベテランになっても、野球をやめるまでこのテンションでずっと頑張っていきたい」
力いっぱいに熱男を叫ぶ2020年。松田宣は理想の生き方を実践している。