野球のぼせもんBACK NUMBER
ルーキー・松田宣浩を覚えているか?
2006年の熱男と王監督の助っ人解雇。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2020/04/18 09:00
2005年ドラフトの希望枠で入団を表明した松田を、亜細亜大に訪れた王監督。
常に、今がピーク。
年頭に目標を訊くと「キャリアハイを目指します」と力強く言い切る。常に今がピーク。そんな生き方でプロ15年目のシーズンまで戦ってきた。
ずっと取材を続けている身からしても、今、そこにいる松田宣が一番輝いて見えている。だから、ここ最近は過去を振り返る機会があまりなかった。在宅作業が続く毎日の中でせっかくだからと取材資料を改めて読み返すと、ちょっと昔のことさえ意外と忘れてしまっている。
そもそも、彼は遅咲きのプロ野球選手だった。
岐阜の中京高校では双子の兄・教明(のりあき)と一緒に甲子園に出場して高校通算は60本塁打を記録した。亜細亜大学では主将も務めて東都一部リーグで15本塁打を放ち、ホークスには当時のドラフト制度にあった逆指名の希望枠で入団した。
二塁手へのコンバート予定だった?
まずここで驚いたエピソードがひとつ。ホークスは松田宣をもともと二塁手として起用する方針を持っていたのだった。
ドラフト後の指名あいさつ。当時の新聞報道では「王貞治監督は、二塁のレギュラーポジションと背番号5を手みやげに、主砲・松中からの5番強奪とキング取りを命じた」(スポーツ報知、2005年11月20日付)と記されていた。大学時代は三塁手。しかし、当時のホークスの三塁レギュラーには大物メジャーリーガーのトニー・バティスタがいた。一方で二塁のポジションは鳥越裕介と本間満の併用で、チームとしては次代の二塁レギュラー候補を必要としていたのだ。
松田宣自身もコンバートの打診に前向きな姿勢を見せていたのだが、この2週間後に事態が急変する。ホークスはバティスタを解雇したのだ。入団時に2年契約でもう1年残っていたが、違約金5億円超を支払ってまでの決断だった。「会社には迷惑をかけたけど、2年後、3年後のことを考えての決断。バティスタに不満があったわけではなく、若い選手にチャンスを与えようとなった」と王監督は説明をした。