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ローランドが語るフットボール愛。
高校時代の挫折とJリーグへの期待。
posted2020/06/26 11:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Suguru Saito
プロのサッカー選手になることだけを目指して、無心でボールを追いかけた少年時代だった。中学時代を育成の名門として知られる柏レイソルのアカデミーで、高校時代を屈指の名門・帝京高校で過ごし、「プラチナ世代」と称された1992年度生まれの一員として青春時代のすべてをサッカーに捧げた。
残念ながら、プロ・フットボーラーになる夢を叶えることはできなかった。それでも、一発逆転を夢見て飛び込んだ夜の世界で、厳しい勝負の世界の頂点に立った。そこまでたどり着いて初めて、「一度は嫌いになったサッカーをもう一度好きになれた」と口にする。
とある金曜の夜。舞台は新宿・歌舞伎町。この街のナンバーワン・ホストとして知られるローランドは、どこまでも熱く、真剣に、どこまでも楽しそうにサッカーとJリーグを語った。
すべてのパワーをサッカーに注いでいた。
――まずはサッカーを始めたきっかけから教えてください。
始めたのは幼稚園の時。でも、理由がわからないくらい、気づいた時にはもうボールを蹴っていたという感覚です。もちろんプロを目指していましたし、それ以外の目標はありませんでした。僕は“熱しにくく冷めにくい性格”なので、『これ!』と決めたら他に選択肢がなくなってしまうんですよ。だから、どうやったらいいプレーができるか、ゴールできるか、ずっとそればかり考えていました。
――子どもの頃からストイックだった?
そうですね。ものすごくストイックにサッカーのことだけを考えて生きていましたし、少し極端なくらいに、サッカーに必要なこと以外はすべてムダに感じていた気がします。
例えば、『学校に行く暇があったらボールを蹴っていた』なんて逸話がブラジルにあると聞けば、それを信じて『勉強は悪だ!』と思い込んでしまったり。恋愛もそう。そういうものをすべて犠牲にして、すべてのパワーをサッカーに注いでいました。
――学生時代はどんなタイプの選手だったのですか?
ゴリゴリで、泥臭くて、ただ点を取るためだけにピッチに立っているようなストライカーでした。技術的な意味ではずっと『ヘタクソ』と言われ続けていたので、足元のうまい選手がうらやましかった。そういう選手との差は、ずっと感じていました。