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大久保洋吉厩舎の厚い友情は今も。
吉田豊と高橋師が狙うクラシック。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2020/01/24 19:00
クリスタルブラックは北海道新冠町の大狩部牧場の生産。同牧場からは初の重賞ウイナーとなった。
2人が挙げたメジロダンダーク秘話。
高橋文調教師は語る。
「私が厩舎に来た時、豊はすでにメジロドーベルでオークスを勝つなど大活躍した後でした。年齢的には下だったけど、先輩という事もあり敬語を使って話していました」
吉田豊騎手も異口同音に語る。
「大久保先生は追い切りだと騎手や助手を乗せるけど、他の時は持ち乗り厩務員の人も乗せていました。高橋先生もよく乗っていたので、レース前は意見交換をしながら競馬に向かうようにしていました」
例として2人が口を揃えて名を挙げたのがメジロダンダークだ。1998年生まれでサクラバクシンオー産駒の同馬は530キロ前後ある雄大な馬格の持ち主だった。それでいて、小心なところがありゲートに苦労した。吉田豊騎手は言う。
「ゲートに近寄ろうともしないような馬でした。『急かさないでじっくり教えよう』という大久保先生の教えに従い、高橋先生も調教時間外の時にもゲートに慣れさせようと努力されていました」
高橋文調教師は次のように語る。
「前扉とジッとしようとしないメジロダンダークに挟まれて骨折した事もありました」
再び吉田豊騎手の弁。
「大きくてパワーのある馬だったし、バクシンオー産駒という事でドカンと飛んで行くような面もあった。高橋先生は大変だったと思うし、自分も出来る限りの事はしようと必死でした」
フリーとなった頃に「豊を頼む」。
立場は違うが同胞とも言える2人はやがて絆を強めていった。
2011年には高橋文調教師が調教師試験に合格。翌'12年には完全に大久保厩舎を旅立ち、開業した。その3年後の'15年には大久保洋吉調教師が定年を迎え、厩舎を解散。吉田豊騎手はフリーとなった。当時の話を同騎手は次のように語る。
「デビュー以来ずっと大久保先生に助けていただいていたのでフリーになる事に不安が無かったと言えばウソになります。でも、大久保先生が辞められるタイミングで尾形充弘先生に『豊を頼む』と言ってくださったので、その後はしばらく尾形厩舎の主戦に近い形で乗せていただけました」