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「パラスポーツ×限界への挑戦」
松田丈志と山田拓朗が語る水泳の魅力。
posted2019/11/29 15:00
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
Wataru Sato
東京都が主催するパラスポーツの競技会場での観戦・応援促進を目的としたプロジェクト『TEAM BEYOND』。その一環として行われたイベント「BEYOND FES 日本橋」(会場・コレド室町テラス大屋根広場)では、支援する企業・団体の協力のもと、競技体験ブースやパラアスリートによるトークショーなどが催され、来夏を待ち望む多くのファンで賑わった。
11月9日、競泳オリンピックメダリスト松田丈志氏とリオパラリンピック銅メダリストで、東京2020パラリンピックでも活躍が期待される山田拓朗選手(NTTドコモ)の2人のスイマーが登壇。「パラスポーツ×限界への挑戦」というテーマのもと、競泳の魅力や今後の抱負を大いに語り合った。その模様をお届けする。
いよいよ来年に迫った東京2020オリンピック・パラリンピック。コメンテーターとしても活躍する松田氏は、その「熱」をヒシヒシと感じ取っているという。
松田 現在は水泳だけでなく、さまざまな競技を取材しています。日本のスポーツ界全体が来年のオリンピック・パラリンピックへ向けて盛り上がっているという熱を感じますね。もう、あと何日ですか? (出場を目指す)山田選手は数えています?
山田 いやー、実はあんまり数えてないんです。あと300日ぐらいでしょうか?
松田 結構、ざっくりしていますね(笑)。
山田 夏のシーズンが終わって、ようやく来季に向けて始動した段階ですから。今月に日本選手権があるので、今はそこに向けて練習しています。松田さんの現役時代はどのくらい泳いでいました?
松田 一番泳いだのは1日で30キロぐらい。だいたい10キロ泳ぐのに3時間かかるので、朝・昼・晩と計9時間。もうそれはつらかったですよ。特に水泳はずっと床を見ているわけですからね。練習しすぎると陸の上にいるほうが大変なんです。魚みたいに……。
山田 そうですよね。少し歩くだけでも疲れて、すぐに座りたくなります(笑)。
松田 これは「水泳選手あるある」かもしれません(笑)。アスリートだからなんでもスポーツができると思われがちですが、陸の上では鈍臭い部分もあるんですよ。
山田 はい、僕も水泳しかできないです(笑)。
山田「小さい頃は水を怖がっていた」
そんな共感し合う2人だが、水泳との出会いは対照的だ。
松田 水泳を始めたのは4歳。小さい頃はサッカーなど他の競技にも挑戦したのですが、良くも悪くも自分ひとりでできないことにもどかしさを感じていました。その点、水泳は自分が頑張った分だけ結果が出る。記録が縮まれば成長したという実感も得られたことで、どんどん水泳にのめりこんでいきましたね。
2012年ロンドン大会での「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」という言葉をよく取り上げていただきますが、大人になって徐々にチームワークの大切さを学んできた。もともとはわりと自己中でした(笑)。
山田 僕は3歳から始めました。当時のことはあまり覚えていないのですが、小さい頃は水をすごく怖がっていたらしく、お風呂にさえも入れなかったみたいで。ただ、水泳を始めた年齢が早かったこともあり、すぐに水にも慣れ、小学校に上がる前ぐらいには4泳法(バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール)ができるようになりました。
松田 そこから始まって、パラリンピックに出たい、世界で戦いたいと思い始めたのはいつなんでしょうか。
山田 一番大きかったのはシドニー大会。当時所属していた水泳チームの先輩がパラリンピックで金メダルを取ったんです(酒井喜和氏/2000年シドニー大会男子100m背泳ぎ<視覚障害>)。当時はパラリンピックという大会を知りませんでしたが、初めて見る国際大会での金メダルがかっこよくて、輝いて見えました。いつか自分もこれを獲りたいと思うようになり、練習を頑張っていました。
松田 なるほど。その4年後(2004年アテネ大会)に出たんですよね? 13歳でパラリンピックって、本当に凄いです。
山田 運がよかったんです。中学校に入ってすぐのことでしたので、期間がかぶって学校の体育祭に出られなかったことを覚えています。
松田 パラリンピックに出られれば十分でしょう(笑)。