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秋の天皇賞、GI馬こぞって参戦も、
ルメール&アーモンドアイの1強か。

posted2019/10/25 18:00

 
秋の天皇賞、GI馬こぞって参戦も、ルメール&アーモンドアイの1強か。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

昨秋のジャパンカップを2400m世界レコードで制したアーモンドアイは、GI6勝目を狙う。

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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Satoshi Hiramatsu

 第160回となる天皇賞(秋)が今週末に迫った。

 以前は春と同じ3200メートルで行われていたこの大一番だが、1984年にグレード制を導入したのに伴い、秋だけは2000メートルに距離を短縮して行われるようになった。

 このことが競馬のスピード化に拍車をかけたのか? はたまたスピード化を見越してこの距離に変更されたのか? 実際にこれ以降、日本の競馬は時計との戦いの度合いを高めていく。

 初めて2000メートルで行われた'84年。勝利したのは前年の三冠馬ミスターシービーだった。道中で一時は先頭から20馬身前後離されたが、19年ぶり三冠馬の持ち味である末脚を存分に発揮して差し切り勝ち。勝ち時計の1分59秒3は東京競馬場芝2000メートルの当時のコースレコードであった。

ルドルフ、マックイーンの大波乱。

 翌年には皇帝シンボリルドルフが、伏兵ギャロップダイナに差し切られる波乱があったかと思えば、'88年にはオグリキャップとの芦毛の怪物対決をタマモクロスが制す名勝負もあった。

 '91年には圧倒的1番人気に支持されたメジロマックイーンが2位入線のプレクラスニーに6馬身の差をつけて1位入線しながらも、当時のルールで降着となり、涙を呑んだ事もあった。

 2002年、代替えの中山競馬場で行われた際に優勝したシンボリクリスエスは翌'03年、東京競馬場でも戴冠。2つの違う競馬場で行われた天皇賞(秋)をいずれも制覇するという偉業を達成した。

 天皇皇后両陛下の行幸啓を賜った'05年は牝馬のヘヴンリーロマンスが優勝。当時騎手だった松永幹夫現調教師が、馬上から天皇皇后両陛下に対しヘルメットを脱いで一礼すると、同じく天覧競馬となった'12年には優勝したM・デムーロ騎手がコンビを組んだエイシンフラッシュから1度、下馬して深々と頭を垂れるシーンを演出した。

【次ページ】 3歳馬サートゥルナーリアが参戦。

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