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「松坂世代初の名球会」に希望が。
藤川球児、39歳のクローザー転向。 

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byHideki Sugiyama

posted2019/08/20 12:00

「松坂世代初の名球会」に希望が。藤川球児、39歳のクローザー転向。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

剛球投手が駆け引きを覚えて息長く活躍するパターンはある。しかし藤川球児は今も昔も火の玉ストレートで勝負する。

高知という場所での「再生の夏」。

 超大物の突然の入団に、高知は色めき立った。同郷で阪神の大先輩に当たる弘田澄男監督や藤川よりも年下の梶田宙球団社長(いずれも当時)も緊張気味だった。

 6月20日の練習試合で藤川は初めてマウンドに上がった。高知市野球場には球団新記録の2500人を超す観衆が集まった。

 藤川は先頭打者を打ち取ったが、その打球を高知の三塁手、ブルキナファソ出身の17歳の練習生サンホ・ラシィナがボールをこぼすと、球場全体が凍り付いたようになった。しかし藤川は気にする様子もなく淡々と投げた。

 後期リーグが始まる8月に高知と正式契約した藤川は、主に先発で投げて、6試合2勝1敗2完投1完封33回21被安打3与四球47奪三振、自責点3、防御率0.82の成績を残すなど、まさに別格だった。また試合前には、若い投手に自ら声をかけてアドバイスする姿も見られた。

 NPBで藤川は2003年以来、先発のマウンドを踏んでいない。いかに格下のリーグとはいえ、先発して完投、完封まで記録したのは大いに自信になったのではないか。

 おそらく、藤川球児の高知での3カ月は、長年にわたる一線級での奮闘で錆びついた心身をリフレッシュする機会になったのではないか。家族とも存分に触れ合えたし、色んな意味で「再生の夏」だったと思われる。

奪三振能力が今もアップしている。

 藤川はこの年オフに就任した金本知憲新監督が直々に交渉して、阪神への復帰が決まった。

 阪神に復帰した後の藤川は、1年目は一時先発に転向するなどポジションが定まらなかったが、勝手知ったるセットアッパーに定着するとともに次第に安定感を増し、2年目の2017年からは再び「勝利の方程式」を担うようになった。

 最高球速は今年も150km/h以上をマーク。驚くべきはK9(9イニングあたりの奪三振数)が、2016年の10.05、2017年の11.28、2018年の11.10から、2019年は13.19と急上昇しているのだ。この数字からは、球速は変わらなくとも球の回転数、キレが良くなっていると推測できる。

 過去にも岩瀬仁紀や上原浩治のように、不惑近くになっても一線級の活躍をした救援投手はいるにはいる。しかし動く速球が武器の岩瀬、無類の制球力が売りの上原はともに技巧派だ。これに対し、藤川は三振をどんどん奪うパワーピッチャーである。この年になって奪三振能力がアップするのは、普通考えられない。

【次ページ】 松坂世代は名球会に誰も入れない?

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