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マイアミの奇跡を知る男、上村健一。
讃岐の指揮官は「怖がり」で攻撃的。 

text by

石倉利英

石倉利英Toshihide Ishikura

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photograph byJ.LEAGUE

posted2019/07/06 09:00

マイアミの奇跡を知る男、上村健一。讃岐の指揮官は「怖がり」で攻撃的。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

今季からJ3カマタマーレ讃岐を率いる上村健一監督。現役時代は派手な髪型でも注目を集めていた。

上村が指導者を志したきっかけ。

 1993年に広島・松永高校からサンフレッチェ広島に加入し、長年にわたり守備の中心として活躍した。'96年のアトランタ五輪では、グループステージ初戦のブラジル戦に81分から交代出場。「マイアミの奇跡」の瞬間をピッチ上で迎えた。'01年にはA代表にも選ばれ、コンフェデレーションズカップに出場している。

 クラブでは'03年まで広島でプレーしたのち、セレッソ大阪、東京ヴェルディ、横浜スポーツ&カルチャークラブを経て、ロアッソ熊本でプレーした'08年限りで現役を引退。翌年に熊本のトップチームコーチとなった。

 現役時代、指導者になろうと考えたことはなかったと振り返る。

「指導には魅力を感じていませんでした。でも'08年シーズンが終わった後、信頼している池谷さん(友良、当時の熊本監督)から『来年は指導者をやってもらおうと思っている』と言われて。引退を決めてしばらくは、ずっと選手だった自分の存在意義がなくなってしまったように感じて、難しい時期もありましたが、年明けからは選手やチームの評価のために働くコーチとして、気持ちを切り替えました」

 その後、熊本のアカデミーコーチ(U-18監督)を経て、'13年に讃岐のヘッドコーチに就任。昨季限りで退任した北野誠前監督の後を受け、今季から監督を務めている。

影響を受けたヴァレリー監督。

 ボール保持率を高めた上で、ポイントを逃さずにスピードアップして、人数をかけて敵陣に侵入。ボールを奪われても、攻めにかけた多くの人数で奪い返して、連続攻撃につなげる。就任会見でそう理想を語った攻撃的なスタイルは、現役時代に指導を受けた、ある監督の影響を受けている。

 ヴァレリー・ニポムニシ。'01年に1年間だけ広島の指揮を執ったロシア国籍の指揮官だ。'90年イタリアワールドカップでカメルーン代表を率いて、アフリカ勢初のベスト8に導いたことで知られており、来日前には韓国Kリーグでも実績を残し、韓国代表監督の候補に挙がったこともある。

【次ページ】 61得点60失点の極端なサッカー。

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