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早大ラグビーでの挫折を経て世界へ。
“コーチを教えるコーチ”って何?
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byMasataka Tara
posted2019/06/22 17:00
指導者による問題が相次いだ近年。今田のような「コーチディベロッパー」が日本のスポーツ界に果たす役割は大きい。
教育実習で見つけた指導者という道。
前出したとおり、活動領域はラグビー界だけではない。日本バスケットボール協会の指導者養成部会に参画し、バスケ界の指導者たちとも向き合う。定期的にプロ野球チームのコーチたちとも対話。コーチとしてのレベルアップをサポートしている。
神奈川出身の今田は小学1年からラグビーを始め、桐蔭学園高時代は高校日本代表候補。しかしロック、ナンバーエイトだった早稲田大学での一軍出場はなかった。
「同期に凄い選手もいて、ひとつ下に佐々木隆道(現・日野レッドドルフィンズ)も入ってきて。そんな時に母校(桐蔭学園)へ教育実習に行って、練習メニューを考えるとか、準備することの楽しさに気づきました」
教育実習を通して、コーチという道に未来を感じた。
清宮氏、中竹氏のもとでコーチを経験。
卒業後、早大大学院に通いながら学生コーチとなり、清宮克幸監督の早大ラストシーズンを経験。就任5季で3度目の大学日本一を達成後、日本選手権で社会人のトヨタ自動車を破った代だ。早大監督の後任は、のちにラグビー協会でコーチングディレクターとして手腕を発揮する中竹竜二氏。理論派監督のもと、さらに3季コーチを務めて2度の大学日本一を味わった。
「コーチとして清宮さんと1年、中竹さんと3年やりました。その2人を知ることができたことも、コーチングを突き詰めたいと思ったきっかけです」
そして2009年からはプロコーチとして近鉄へ。社会人でのプレー経験がない、異例のコーチだった。
「大学でレギュラーではない、トップリーグでもやったことがない僕がコーチをやることで、『そういう道があるんだ』と示したかった。それがモチベーションでした」
トップ選手ではないため、感覚では教えられない。練習の裏付けなどを徹底的に用意する理論派になった。