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「ダビスタ」開発者が語るブーム。
最強配合と世界を自由に楽しむこと。
posted2019/05/17 08:00
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph by
ParityBit
競馬シミュレーションゲーム「ダービースタリオン」、通称「ダビスタ」。競馬ブーム真っ盛りの1991年にファミコン用ソフトとして発売され、以降、さまざまなプラットフォームでシリーズを重ねてきたこのゲームの名前を聞いて、まず最初に「最強馬」というキーワードが思い浮かぶ人は多いはずだ。
スピードがありすぎて、最後の直線で後続を引き離した馬の姿が、画面の外に消えてしまう。そんな「最強馬」を作りたくて、みんな徹夜でコントローラーを握った。最も熱かった1990年代、強い馬を作るプレーヤーはスター扱いされ、雑誌でその生産や調教の理論を語った。
かくいうNumberでも、1994年の秋競馬特集号でゲーマーの横井顕さんにインタビューした記事を「ダビスタ最強馬のつくり方。」と題して掲載している。
でもそういう盛り上がり方は、じつは開発者の薗部博之がダビスタを作りはじめたときには想像もしていなかったという。そもそも、最初は血統が出てくるゲームになるかどうかもわからなかったのだ。
対戦機能で一気に全国的ブームに。
「当時はレースの実況が面白いなと思っていて、あれを再現したいと考えたのが最初です。杉本清(元関西テレビのアナウンサー)さんの名調子とか、ああいうやつですね。だからプログラムも、レースシーンからコツコツと作りはじめました」
そこから急速に自身の競馬の知識が増えるとともに、ゲームには血統が導入され、僕たちの知るダビスタの原型ができていく。それでも、まだ最初のファミコン版の頃は足りないものがあった。パスワード式の対戦機能、「ブリーダーズカップ」だ。
「ファミコンで1作目と次の『全国版』が出て、そのあとパソコン版を出したときに対戦機能を入れたんです。そうしたら一気にブームになって、次のスーパーファミコン版に繋がっていきました。
それまでは箱庭的に完結した遊び方がされていたのが、急に変わったのを感じました。ゲーム雑誌だけじゃなく、当時たくさんあった競馬雑誌でも、みんなダビスタの記事を載せてくれるようになりましたよね」