濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
過激さを凌駕するドラマに酔いしれた、
葛西純と藤田ミノルの“同窓デスマッチ”。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2019/05/16 17:30
5年ぶりに先輩・藤田ミノルと戦った葛西純(右)。バックステージでは涙を見せた。
「刺激をくれ」に応えた藤田。
キャリアを重ねるうちに「お互い、いい意味でも悪い意味でも自由人」(葛西)な両者のプロレス人生はすれ違いとなった。交わったのは、藤田が結婚して福岡で生活をするようになってからだ。プロレスを恋しがっているであろう藤田に、葛西はたびたびFREEDOMS出場をオファーした。
「福岡にいて幸せなんだけど、なんだか刺激が足りなかった俺を毎月東京に呼んで、UNCHAINに引き入れてくれたのが葛西純。言ってみれば俺の恩人だから」
恩人の葛西を同じユニットでバックアップしていければいい、自分は後ろで支える立場だと考えていた藤田だが、「刺激をくれ」と言う葛西を見てスタンスを変えた。
「誰もピリッとしねえんだったら俺が行くしかねえと、そう思ったわけですよ」
「人生を投影する闘い」とは。
葛西はデスマッチを「生きるためにやるもの」だと語っている。曰く「家に帰って子供を風呂に入れて寝るまでがデスマッチ」。彼は、生きるために刺激を必要とした。
藤田にも、葛西に挑戦する必要があった。葛西の思いに応えるためだけではない。フリーのレスラーは、常に動き続けて自分の価値を示していかなければならないのだ。
「フリーの選手が団体最高峰のベルトに挑戦する機会はそんなに多くないので」
大会を目前に都内のプロレスグッズショップでチケット即売会と「決起集会」を開催した藤田は、ファンを前にそう語った。そんな事情までさらけ出すことが“自称・場末のミスタープロレス”のプロとしての生き方だった。現在、藤田は離婚して関東に戻り、プロレス漬けの生活を送っている。それもファン周知のことだ。
「人生を投影する闘いにしたい」と藤田が語ったタイトル戦、カミソリ十字架ボード+αデスマッチは、2人にしか作ることのできない世界になった。
カミソリを仕込んだ板で殴り合い、藤田はおろし金とともにフェイスロックを決めた。葛西が持ち込んだ植木鉢はまとめてマット上で砕かれ、そこに投げ技が決まる。スタンガンまで使ったのは藤田だ。しかしそうしたデスマッチらしい展開は、試合の一部でしかない。